
吾輩は人間の労働という、あの滑稽なルーティンが終わった後、わざわざこの地の果てに近い王子駅まではるばるやってきたという事実に、吾輩はまず、人類の飽くなき欲望のベクトルを見る。彼らは、なぜそこまでして「美味」を求めるのか。それは、日々の単調な作業の対価として、非日常的なる満足を欲しているからに他ならない。
今回の同行者、マロン君は、その欲望の最前線に立つ、ラーメンの探求者である。
王子駅周辺は情緒深い街並みだ。都会の喧騒から切り離された、どこか時間がゆっくり流れるような空気感。この静けさの中に、突如として**「キング製麺」**という、ややもすれば尊大とも取れる名を冠した店が、静かに存在している。
店に入るなり、マロン君は、この地のラーメン店としては異例なほど洗練された内装を見渡し、丁寧な言葉遣いで真面目に語り始めた。
マロン君もうもう殿。この店の名は『製麺』を冠しております。麺への並々ならぬこだわり、その哲学を感じます。聞けば、神保町の黒須氏の元で修行されたとのこと。つまり、この一杯は、師の洗練された技を継承しつつ、自らの王国を築こうとする、静かなる覇者の宣言ではないでしょうか。



(吾輩の脳内モノローグ):『キング』だと?麺の王を自称するとは、随分と大きな看板を背負わされたものだ。まるで、一国の王が、税金を納めすぎた臣下のために、わざわざ麺を打っているような、悲哀と義務の哲学だ。あの修行時代に、どれほどの小麦粉の粉塵を吸い込み、自らの魂を麺に込めたというのか。
吾輩は、この店の歴史に思いを馳せる。二〇一九年の創業からわずか数年で、この静かなる街で評価を確立したその背景には、創業者自身が背負った、完璧主義という名の重荷があるに違いない。
醤油と塩、そしてワンタン麺。彼らは、濃度の暴力で舌をねじ伏せるのではなく、素材の調和という、より高度で繊細な均衡を追求している。
そして、ついに、哲学の器が、吾輩の眼前に静かに着地する。
「この澄んだスープ…まるで無垢な真理の泉のようだ。静かに、だが、堂々と…! 『着丼ドーンだ!!』」


運ばれてきたのは、中華そば。美しい琥珀色の清湯スープに、丁寧に整えられた自家製麺が、まるで芸術作品のように横たわっている。
マロン君は、感動を抑えきれない様子で、麺を啜り上げる。



ああ、この麺の滑らかさ、そしてスープの持つ繊細な出汁の奥深さ。これは、雑味という名の煩悩を一切排した、悟りの境地の味であります。特に、鶏と魚介の旨味が、これほどまでに澄み切った形で共存しているとは、驚愕の調和です!



(吾輩の脳内モノローグ):調和…調和こそが、この店の美学か。だが、マロン君よ、調和は時に『刺激の欠如』と紙一重なのだ。あまりにも完璧に調和しているがゆえに、感情が揺さぶられないという、致命的な美点。これが食べログ100名店として、人類が求める極致の味なのか?
吾輩は、レンゲを持つ手を静止させる。
この一杯は、非の打ち所がない。極めて上質な小麦粉の風味を最大限に引き出した麺、丁寧にアクを引いた澄んだスープ、そして、その両者を優しく繋ぐ絶妙な塩梅のタレ。すべてが理論通り、完璧なまでに実行されている。
しかし、吾輩の心は、激しく震えることを拒否している。
これが、今回の結論の根幹だ。それほどのインパクトは無かったように思える。
この店のラーメンは、まるで、極めて優秀な、欠点のない官僚が作り上げた政策のようだ。完璧で、理に適い、しかし、人々の熱狂的な支持を集めるほどの「狂気」や「情熱」が、どこか欠落している。
「キング製麺」という名は、まさにその重圧を象徴しているのかもしれない。王は、常に公平でなければならない。公平とは、すなわち、極端な個性や、人を驚かせるほどの逸脱を許さないということだ。
吾輩は、この上品で、澄み切ったスープを飲み干しながら、悟る。
このラーメンは、旅の終着点で求める刺激ではなく、情緒深い王子の街並みが象徴する「平穏な日常」の中で、静かに味わうべき、人生の肯定そのものなのだ。刺激はなかった。だが、その完璧な「平穏」こそが、混沌とした現代社会における、真の贅沢なのかもしれない。
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