吾輩は牛である。先日、旧知の友フィリップを連れて秋葉原へと降臨した。
フィリップ今回も安くて、うまい店を頼む。特に安いには強いこだわりがある。いや、安ければ安いほどよいな
彼は相変わらず、価値の定量化に異常な執着を見せる男で、「美味」とは「安価」であるべし、という経済哲学を曲げない。彼の貧困な精神を満たしつつ、稀代の食通たる吾輩のメンツも保たねばならぬ。これは餌の選択ではない、哲学的難問である。そして今日も夜勤明けの疲労のヒーローのようないで立ち登場したのだった。
よって吾輩が選んだのが、この「昭和食堂 秋葉原駅前店」だ。


電気街口を出てすぐ、煌びやかなアニメ看板とメイドの呼び込みが跋扈するこの街において、そこだけ時間が凝固したような異空間が存在する。黄色い看板、裸電球の灯り。この店のウリは、ノスタルジーという名の時代錯誤の演出と、飯、味噌汁のおかわり自由という現代の飢餓を満たす救済措置にある。
昭和という時代は彼らにとって、単なる過去ではなく、安くて腹一杯になれた「失われた黄金郷」のメタファーなのだろう。しかし、ここで一つの提示せねばならない。この店が醸し出す「創業数十年」のような風格は、巧みに計算された舞台装置である。実のところ、この秋葉原駅前店が開業したのは2010年(平成22年)4月26日。平成も半ばを過ぎた頃に、あえて「昭和」を再構築したのだ。つまりここは、歴史ある食堂ではなく、歴史を模倣したテーマパークなのである。店内に流れる昭和歌謡とトタンの看板は、人間が歴史を消費する様を如実に示している。



ここだ、フィリップ。資本主義の最前線で働く君に相応しい場所だ
と吾輩は導いた。
店内に入ると、券売機という名の文明の利器が我々を待ち受ける。メニューは潔いほどに「茶色」だ。野菜という概念が欠落しているのではないかと思えるほど、肉、肉、そして炭水化物のオンパレード。チキンカツ、豚キムチ、そしてカレー。これらはすべて、労働者の疲労を燃料に変えるためのエネルギー棒のようなものだ。
吾輩は迷わず名物「スタミナ丼(並 ¥850)」を注文。本来、草を食む我々一族からすれば、豚肉という他種族の脂身を摂取することは、ある種の背徳的な遊戯である。だが、ニンニク醤油で炒められた豚バラ肉が、白飯という名の土台の上に溢れかえる様は、生命力そのものの具現化である。正直、これは週に一度は摂取したい栄養価という名の義務と言える。
待つ間、フィリップはスマホを眺めている。



安くてうまければいいぞ
なんと、人間の胃袋は満たしたいが、財布は満たしたままにしたいという、この矛盾した欲望! 店内を見渡せば、フィリップと同類の、疲れた目をした戦士(サラリーマン)たちが、黙々と箸を動かしている。彼らの背中には「おかわり自由」というシステムへの絶対的な信頼が見て取れる。店の中央に鎮座する巨大な炊飯ジャー。あれは現代の聖櫃(アーク)だ。自分の好きなだけ米を盛ることができるという自由。しかし、その自由は「腹を満たす」という生物学的限界の中に閉じ込められている。
「おい、番号呼ばれたぞ」 フィリップに促され、吾輩はカウンターへと向かう。
ついに来た。着丼ドーンだ!!


黒い盆の上には、圧倒的な質量を誇る丼と、生卵、そして味噌汁。 丼の中央には、炒められた豚肉の山脈が築かれ、その頂には刻みネギが散らされている。強烈なニンニクの香りが鼻腔を蹂躙する。これは香りではない、嗅覚への暴力だ。だが、嫌な暴力ではない。生きろ、と細胞を叩き起こすような檄(げき)である。
吾輩は、別添えの生卵を割り、その黄金色の液体を肉の山頂へと投下した。トロリと流れる黄身は、茶色の荒野に降り注ぐ太陽の如し。 豚肉の脂とニンニクの香りが、フィリップの頬の緊張を一瞬で解きほぐした。彼はそれ以降、一切の無駄な会話を断ち、ただ黙々と、まるで飢えた猛獣のように丼を掻き込む。吾輩がこれだけ調べて連れてきたというのに、彼が発する音は咀嚼音だけである。
吾輩もまた、一口目を運ぶ。 ……濃い。 脳天を突き抜けるような醤油とニンニクのパンチ。そこに生卵が絡むことで、暴力的な塩味がマイルドなコクへと昇華される。豚バラ肉の脂身が口の中で溶け出し、米粒の一つ一つをコーティングしていく。これはもはや、食事というよりは燃料補給に近い。 卓上には「レモン汁」や「特製辛味」といった味変アイテムも完備されている。途中でレモンを数滴たらせば、脂に塗れた舌が一瞬リセットされ、再び肉への渇望が蘇る。この店は、人間を飽きさせないための心理操作に長けている。
フィリップが突然席を立ち、聖櫃(炊飯ジャー)へと向かった。彼の丼はすでに空だ。彼は茶碗にてんこ盛りの白飯をよそい、さらに味噌汁をなみなみと注いで戻ってきた。 「おかわり自由」。この甘美な響きに、彼は完全に屈服している。丼に残ったわずかなタレと肉片で、彼は新たな白米の山を制覇しようとしているのだ。その姿は、終わりのない労働に耐えるために、終わりのない食欲を満たそうとするシーシュポスの神話を見ているようだ。
吾輩は耐えかねて問うた。



どうだ?この、肉と米とニンニクによる生の肯定は?
フィリップは顔を上げず、数秒の静寂の後にたった一言。「うむ、うまい。」
……肩透かしも甚だしい。この膨大なコストパフォーマンスと、太古からの食欲を満たす壮大なドラマを前にして、「うまい」とは、何と矮小で不毛な言葉か。人間とは、かくも単純なエネルギー補給のために、かくも複雑な思考回路を浪費する生物である。 「うまい」という言葉の裏には、「腹一杯になった」「金が浮いた」という、小市民的な安堵が凝縮されているのだろう。
吾輩はただ、彼の前に置かれた空の器と、満たされながらもすぐに次を求める人間の貪欲さを、静かに見つめるばかりであった。 昭和食堂。それは平成に生まれた、昭和の幻影を売る店。しかし、そこで満たされる食欲と、膨れ上がった胃袋の重みだけは、紛れもないリアルであった。
店を出ると、秋葉原の電子音が再び我々を包み込む。



さて、コーヒーでも飲むか。安いとこで。神田のエクセルシオールCaféがいいな
とフィリップが言う。 やれやれ。吾輩の反芻胃は、まだこの強烈なニンニクの余韻を噛み締めているというのに。人間という生き物は、つくづく燃費が悪いようである。
投稿者プロフィール


- 大富豪になっても結局食と旅
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吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。
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