吾輩は牛である。資本主義の猛威が吹き荒れる夜勤明けの友人、フィリップを伴い、目黒へと向かった。彼の顔面は疲労の紫禁城、相変わらず蒼白である。生きるために働くのか、働くために生きるのか。その無限ループに絡め取られた彼の姿は、牧場で反芻を繰り返す我々一族よりも遥かに不自由に見える。
今回は金銭の余裕があるのか、あるいはハンバーガーという、本来ならパンと肉を挟んだだけの人類の簡素な知恵に興味がわいたのか、目黒の「ハングリー ヘブン(Hungry Heaven)」に決まった。 目黒駅から権之助坂を下る。この坂は、行人坂ほど急ではないが、空腹の人間にとってはゴルゴダの丘への道程にも似ている。我らの原罪を払拭するかのように店に到着すると、休日の昼時、我々の前には既に3組が並んでいる。人間はなぜ、休息よりも胃袋を満たすことを優先するのか。あるいは、並ぶという行為そのものが、現代人にとっては「目的のある待機」という稀有な安らぎの時間なのかもしれない。

列が進み、店内へと案内される。 店内は、アメリカンナイズドされた瀟洒な造りだ。木目を基調とした内装に、ポップな看板や小物が配され、いかにも「バーガーを食わせるぞ」という気概に満ちている。しかし、この「天国」の出自は単なる流行りのカフェではない。 ここで少し歴史を紐解こう。この店のルーツは、上板橋で30年超の歴史を持つ焼肉店「ギュービッグ」にある。2008年の創業以来、肉を知り尽くした者が作る「ジャンクだがジャンクではない」バーガーを標榜しているのだ。元々は焼肉屋のランチタイムに「二毛作」として始まったこのハンバーガー事業が、そのあまりの完成度の高さに独立した店舗を持つに至ったのである。
つまりここは、昼間だけ食欲のヘブンを演じる二毛作の劇場――その成功したスピンオフだ。 焼肉屋が母体であることの意味。それは「肉(パティ)」への絶対的な自信と、仕入れの強さにある。パティには焼肉屋ならではの「秘密の部位」が混ぜ込まれているというが、それは要するに、角切りにされた肉の端材や、脂の乗った部位を巧みに配合し、庶民の胃袋に訴えかける資本の妙手に他ならない。つなぎを一切使わず、牛肉100%で勝負するその姿勢は、我々牛族への、ある種のリスペクトと受け取っておこう。
席に着き、メニューを開く。その種類の多さは、優柔不断な人間をパニックに陥れるに十分だ。スタンダード、チーズ、アボカド、チリビーンズ……。 しかし、吾輩は迷わず**ハングリーヘブンバーガー(¥1,188)**を注文した。店の名を冠したメニューこそ、その店の哲学が凝縮されているものだ。フィリップも思考停止した顔で「同じものを」と頼んだ。 さらに
フィリップバーガーにはコークだろう
と、珍しくコーラを頼む。こんな人工的な甘味と発泡を摂取するのは、三年ぶりに三度目の正直といったところか。フィリップは



疲れた脳には糖分だ
などと供述している。毒を以て毒を制す、人類の疲労回復手段もまたアイロニーに満ちている。
待つこと十数分。 厨房からはパティが焼ける香ばしい匂いと、肉汁が鉄板の上で踊る音が聞こえてくる。それは、かつて吾輩の同胞だった者たちが、最後に奏でる鎮魂歌(レクイエム)であり、同時に食欲へのファンファーレでもある。
黒光りする特注バンズに挟まれた肉塊が、スタッフの手によって運ばれてきた。
着丼ドーンだ!!


眼前にそびえ立つのは、バベルの塔ならぬ、バーガーの塔だ。 フィリップは、その圧倒的なボリュームを前に、夜勤の苦痛を忘れたように目を輝かせた。彼の瞳孔が開くのが見て取れる。
まず目を引くのは、そのバンズの色だ。通常の狐色よりも深く、黒に近い褐色。カラメルを練り込んでいるというその特注バンズは、艶やかに光り輝いている。その間に挟まるのは、分厚いパティ、レタス、トマト、オニオン、そしてたっぷりのヘブンソース。これらが絶妙なバランスで積み上げられ、串で貫かれている様は、現代アートのオブジェと言っても過言ではない。
フィリップはバーガー袋(ペーパー)に慎重にバーガーを移し替え、少し押し潰すようにして齧り付いた。 「むぐ……っ!」 肉汁が溢れ出し、彼の手を伝いそうになるのを必死で啜る。



いやぁ、このパティの肉汁と焼肉のタレっぽいソースが絡み合って、まさにヘブン!肉の味が濃いのにしつこくないのがさすがやね!
フィリップは歓喜の声を上げるが、吾輩は黙って観察する。 彼の言う通りだ。このバーガーの真髄は、パティの「粗々しさ」にある。挽肉というよりは、微細な肉の塊の集合体。噛むたびに、赤身肉の旨味と脂の甘みが口の中で暴れまわる。これはUSやオージーの赤身肉に和牛の脂、そして「秘密の部位」が絶妙に配合された、肉の壮大な多文化主義だ。 そして、味の決め手となる「ヘブンソース」。これが明らかにBBQソースやケチャップとは一線を画している。醤油ベースの甘辛い風味――そう、これは紛れもなく「焼肉のタレ」の系譜なのだ。フルーツや野菜の甘みが溶け込んだこのソースが、洋風のハンバーガーを、日本人のDNAに刻まれた「白飯と焼肉」の快楽中枢へと接続させている。
特注の黒いバンズは、表面はサクッとしていながら、中はふんわりと軽く、肉の強い主張を受け止めつつも、決して邪魔をしない。このジャンクな快楽を厳粛に受け止めるためのモダンアート的な額縁として、完璧な仕事を果たしている。
フィリップは、コーラで流し込みながら、恍惚の表情を浮かべている。



生き返る……。このジャンクさ、たまらん
ジャンクではない。これは計算され尽くした栄養の塊だ。だが、彼にとっては「背徳感」こそが最高のスパイスなのだろう。この一食で、自身の疲労という名の債務を支払ったつもりでいるのだから、安いものだ。
吾輩も一口、齧り付く(あくまで脳内イメージだが)。 口いっぱいに広がる牛の旨味。レタスのシャキシャキ感、トマトの酸味、オニオンの辛味。それらがヘブンソースという指揮者のもとで、交響曲を奏でる。マヨネーズとマスタードのアシストも憎い。 食べ進めるうちに、袋の底には肉汁とソースが溜まっていく。フィリップは最後、その液体すらも名残惜しそうにバンズで拭って食べていた。浅ましいが、気持ちはわかる。
ハンバーガーは、人類が築き上げた、最も手軽で、最も肉々しく、そして最も効率的な「幸福のメタファー」なのだ。 円形のパンは円満な世界を、積み重なる具材は人生の層を、そして溢れる肉汁は生命の輝きを象徴している……のかもしれない。吾輩の考察は、このバーガーの厚みと同じくらい深まるばかりだが、フィリップの満足そうな顔を見れば、ひとまずこの「ヘブン」は、その役割を全うしたと言えよう。
店を出ると、目黒の喧騒が戻ってきた。しかし、胃袋に収まった「天国」の余韻は、しばらく消えそうにない。 「次はチーズバーガーもいいな」と呟くフィリップ。 やれやれ。天国への階段は、どうやら一段では終わらないらしい。 吾輩はふと、自分の脇腹あたりを撫でたくなったが、そこにあるのは豊かな毛並みだけである。さあ、帰って寝るぞ、フィリップ。君の労働力の再生産のために。彼は今週も夜勤を繰り返して疲弊するのだろう。今日という日が一縷のオアシスになることを吾輩は密かに祈った。
投稿者プロフィール


- 大富豪になっても結局食と旅
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吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。
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