ある日のこと、吾輩のご主人がこう言い出した。
ご主人三重には行ったことが無いから、行ってみよう!
そう言うや否や、パソコンの前に座り込み、三重についての情報を片っ端から検索し始めた。伊勢神宮、伊勢うどん、鳥羽水族館、そして松坂牛――これらを全部回ろうと計画しているらしい。






吾輩は静かに考えた。この人間は、時間というものの概念が欠如しているのだろうか。日帰り旅行で、伊勢神宮から鳥羽水族館、さらに松坂牛まで制覇しようとは、まるでナポレオンがロシア遠征の計画を立てているようなものである。歴史が証明しているように、そのような野心は必ずや破綻する運命にある。
しかしご主人は天然である。「全部行けるよね!」と楽しそうに呟いている。吾輩は何も言わなかった。人間の楽観主義というものは、時として哲学的考察よりも強力なのだ。
当日、節約のためという理由で、ご主人は「ぷらっとこだま号」を選択した。


吾輩はこの時点で不吉な予感を覚えた。人間というものは、安さに釣られて後悔する生き物である。それはまるで、吾輩たち牛が安価な飼料に誘われて、後で消化不良を起こすようなものだ。しかし吾輩は牛である。人間の決定に口出しする立場にはない。
そして予感は的中した。
列車が動き出してしばらくすると、突然アナウンスが流れた。「パンタグラフにトラブルが発生しました」。
吾輩は思った。パンタグラフとは、人間の野心を象徴する装置ではないか。上へ上へと電気を求めて伸びるその姿は、まるで人間の欲望そのものだ。そしてそれが故障したということは、つまり、人間の計画など所詮は脆弱なものだという宇宙の摂理が、今ここに顕現したのである。
車内で2時間近く閉じ込められた。ご主人は「伊勢神宮も、伊勢うどんも、全部行けなくなった!」と嘆いている。吾輩は静かに窓の外を眺めていた。時間とは何か。計画とは何か。人間はいつも時間を支配できると錯覚しているが、実際には時間こそが人間を支配しているのだ。
ようやく列車が動き出し、松阪に到着したのは午後2時。ご主人は他の電車に乗り換え、息を切らしながら目的地へと向かった。


そして到着したのが、「一升びん 宮町店」である。


この店は1979年8月にオープンした焼肉店で、松阪牛をリーズナブルに提供することで知られている。店名の由来は興味深い。創業者が一升びんを囲んでワイワイするのが好きだったことから、この名がついたという。人間の幸福とは、案外こうした単純な喜びの中にあるのかもしれない。
しかし、この店の最大の特徴は何といっても「回転焼肉」である。回転寿司の焼肉版ともいうべきこのシステムは、1990年代に社長が考案したものだ。牛を一頭丸ごと仕入れることで、さまざまな部位を効率よく提供するために生み出されたアイデアである。


なんというアイロニーだろうか。吾輩たち牛が一頭丸ごと、回転レーンの上を回る。それはまるで、生命のサイクルを視覚化したメタファーではないか。誕生し、成長し、そして回転する。ベルトコンベアーは、人生そのものの象徴なのだ。
ご主人が店員に尋ねた。



回転焼肉って、今できますか?
店員が答えた。



申し訳ございません。回転は午後4時からなんです
時刻は午後2時。
ご主人の顔が曇った。パンタグラフのトラブルさえなければ、午前中に着いて、他の観光もこなし、そして4時には回転焼肉にありつけたはずなのだ。しかし現実は残酷である。
運命とは何か。吾輩は考えた。人間は自由意志を持っていると信じているが、実際にはパンタグラフの故障ひとつで、すべてが狂ってしまう。それは果たして自由と呼べるのだろうか。
仕方なく、普通の焼肉席に案内された。
店内は昭和の香りが漂う、素朴な雰囲気だった。地元客から観光客まで、多くの人々が訪れる名店である。食べログでは「焼肉WEST百名店」に2025年まで連続選出されている。
ご主人が注文した。松阪牛の上カルビ、切り落とし、そしてホルモン。
そして、運ばれてきた。
着丼ドーンだ!!


肉が七輪の上で焼かれ始めた。脂が滴り、香ばしい匂いが立ち上る。
吾輩は黙って見ていた。これが吾輩の同胞たちの姿なのか。しかし不思議と悲しみは感じなかった。むしろある種の尊厳を感じたのだ。一升びんでは、創業以来守り続けている味噌ダレが特徴で、肉を軽く絡めて提供している。牛を一頭丸ごと購入し、すべての部位を無駄なく活用する。それは命への敬意でもある。


ご主人は黙々と肉を食べていた。文句も言わず、ただ静かに味わっている。
もしかすると、このご主人は悟ったのかもしれない。計画通りにいかないこと、望んだものが手に入らないこと――それこそが人生なのだと。そして、それでも目の前にあるものを味わうこと。それが生きるということなのだと。
帰り道、ご主人は駅で赤福を買った。


「せめてお土産だけでも」と言いながら。
新幹線の中で、ご主人がぽつりと呟いた。



三重に3時間しかいられなかった。観光もせず、焼肉を食べただけ。しかも回転肉にはありつけず。何しに行ったんだろう
吾輩は窓の外を眺めながら考えた。
何しに行ったのか。それは良い問いだ。人間は常に目的を求める。効率を求め、計画を立て、すべてをコントロールしようとする。しかし、人生とはそういうものではない。
パンタグラフは壊れ、回転焼肉には間に合わず、観光地も回れなかった。しかしそれでも、ご主人は松阪牛を食べた。そしてその味は、確かに美味だった。
計画外の出来事こそが、実は人生の本質なのかもしれない。不完全であること、期待が裏切られること、それでも歩き続けること。
吾輩は思った。これは失敗ではない。これは経験なのだ。
一升びんの味噌ダレが舌に残っている。あの香り、あの味わい。回転しなくても、肉は肉だった。そしてそれは十分に美味かった。
ご主人が赤福の箱を開けた。
「まあ、これでも食べるか」
吾輩は頷いた。そうだ、それでいい。
人生は回転焼肉のようには回らない。でも、それでいいのだ。目の前にある赤福を食べ、今この瞬間を味わう。それが、吾輩たち――牛も人間も――に許された、唯一の生き方なのかもしれない。
三重の旅は、わずか3時間で終わった。しかしその3時間は、人生の縮図だった。
吾輩は牛である。だから吾輩は知っている。人生とは、計画通りにいかないものなのだと。そしてそれでも、味わうべきものは必ずあるのだと。
後記:
ちなみに、一升びんの回転焼肉は宮町店でのみ体験できる。本店では回転していない。次回もし行く機会があれば、事前に確認することをお勧めする。
そして、日帰り旅ならぷらっとこだま号には、もう乗らない方がいい。安いことは確かだが、えらく時間を要するのだ。
以上、哲学する牛からの忠告である。
投稿者プロフィール


- 大富豪になっても結局食と旅
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吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。
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