マギーという名の太陽

妹君の結婚式が無事に終わった後、ご主人は暇を持て余していた。
人間というものは、予定が空くと途端に不安になる生き物である。吾輩のような牛は、暇な時間こそ至福の時と考えるのだが、人間は違う。彼らは常に何かをしていないと落ち着かないのである。
ご主人は式場からタクシーに乗り、ビリヤード場まで行ってもらうことにした。運転手は女性で、名前をマギーという黒人であった。
このマギーという人物が、実に陽気であった。いや、陽気という表現では生ぬるい。彼女はまるで人間の形をした太陽のようであった。
ご主人が何か冗談を言うたびに、マギーはハンドルをバシバシと叩きながら「ガハハ!」と豪快に笑うのである。その笑い声は車内に響き渡り、まるで祝祭のようであった。
吾輩は思った。
モウモウ笑いというものは、言語を超える。ご主人の英語が完璧でなくとも、マギーは心から笑っている。人と人とのコミュニケーションにおいて、文法の正確性よりも大切なものがあるのだと、吾輩は学んだのである
しかし、この楽しい道中が、次なる試練への序章であることを、この時点で誰が予想できたであろうか。
倉庫の二階、或いは勇気という名の無謀
マギーが案内したビリヤード場は、倉庫の二階にあった。
吾輩は思った。モ〜これは明らかにいかがわしい。観光ガイドブックに載るような場所ではない。むしろ「行ってはいけない場所リスト」に掲載されるべき雰囲気である。
二階へ上る非常階段には、地元のごろつきのような人物が座り込んでいた。彼らはご主人の行く手を邪魔するように陣取っている。これは明らかに通行料を要求する態度である。いや、もっと悪いことを企んでいるかもしれない。
普通の人間であれば、ここで引き返すであろう。しかしご主人は違った。



ちょっと通してくれ
平然とそう言って、ご主人は階段を登っていったのである。
吾輩は驚愕した。これは勇気なのか、それとも無謀なのか。もしくは単なる鈍感なのか。判断に迷うところである。
幸いなことに、ごろつきたちは特に何もしなかった。おそらく、この東洋人の奇妙な落ち着きぶりに戸惑ったのであろう。あるいは、ビリヤードをしに来た男を襲っても大した金にならないと判断したのかもしれない。
理由はともあれ、ご主人は無事にビリヤード場にたどり着いた。人生において、時として無謀さが最良の戦略となることがあるのだと、吾輩は学んだのである。
アラモアナという名の聖地


ご主人は毎日、アラモアナショッピングセンターへ通っていた。
宿からは徒歩10分ほどである。人間にとって、ショッピングセンターとは一種の聖地なのであろう。そこには物質的欲望の全てが揃っており、消費という名の祈りを捧げる場所なのである。
アラモアナショッピングセンターはドル両替、買い物、食事など毎日の生活には欠かせない重要なインフラであった。店内では日本語でマカダミアナッツチョコレートの売り込みが行われているので、ほぼ日本のショッピングセンターであるといっても過言ではない。
吾輩は思う。牛にとっての聖地が牧草地であるように、人間にとっての聖地はショッピングセンターなのかもしれない。種族が違えば、聖なるものの定義も異なるのである。
ウェイクボードと筋肉痛の洗礼
ある日、ご主人はウェイクボードを体験することにした。




最初は何度も水に落ちていた。しかし徐々にコツをつかみ、ついには波の上に立つことができた。3分ほど激走したという。そして調子にのって片手走行も披露していた。船長は感心して言った。
「彼はキットやるよ」
日本語である。片言ではあるが、確かに日本語である。ご主人は得意げな表情を浮かべていた。
しかし、代償は翌日やってきた。全身筋肉痛である。
ご主人は呻いていた。階段を降りるのも困難な様子である。人間の身体というものは正直である。昨日の栄光は、今日の苦痛として精算されるのである。
吾輩は思った。牛は毎日同じことを繰り返す。だから筋肉痛にはならない。人間は時折、普段しないことをする。そして苦しむ。これは一種の自業自得である。しかし、その苦痛の中にこそ、成長があるのかもしれない。
ホノルルマラソン、或いは予期せぬ疾走
ある夜、ご主人は妹のご両親と会食する約束をしていた。
しかしその前に、バスで買い物に出かけたのである。ここでご主人は致命的なミスを犯した。地理感がないのに、バスに乗ったのである。


案の定、どこを走っているのか分からなくなった。時間に間に合わないかもしれない。焦ったご主人はバスを降りた。
地図を確認すると、待ち合わせ場所まで約3キロもあることが判明した。
普通の人間であれば、再びバスに乗って引き返すだろう。しかしご主人は違った。なぜなら、再びバスに乗るとまた迷う恐れがあったからである。
そしてご主人は、驚くべき決断を下した。よし、走るしかない。



これが本当のホノルルマラソンだぁぁぁぁ〜!
ご主人は自虐的に叫びながら、ホノルルの市街地を疾走し始めた。


吾輩は思った。人間というものは追い詰められると、実に奇妙な行動をとる。3キロを走るという選択肢が、なぜこの状況で最適解となるのか。論理的に考えれば不合理である。しかし緊急時において、人間の思考は論理を超越するのである。
地元の人々は、夜のホノルルの市街地をスーツ姿で全力疾走する東洋人を何だコイツは??という奇異な目で見ていた。ハワイの街角に、突如として現れたシュールな光景である。さすがの吾輩も失笑を禁じえなかったが、主人の判断は正しいとも思った。
ご主人は息を切らしながら、なんとか時間通りにホテルに到着した。しかし、ご両親の姿が見えない。
妹に電話すると、裏口でリムジンに乗って待っているとのこと。


「なぜ裏口?」
そんな疑問を抱く余裕もなく、ご主人は息せき切って裏口へ向かった。そして初対面。



ハァ…ハァ…初めまして…
汗だくで、呼吸も荒く、まるでマラソンを完走した直後のような姿の花嫁の兄。ご両親は一体どう思ったであろうか。吾輩は想像するだに恐ろしい。
第一印象というものは重要である。しかしご主人の第一印象は、おそらく「体力のある青年」であったろう。間違ってはいないが、決して理想的な第一印象ではない。
ピーコックバスへの憧憬
さて、ここからが本旅行における最大のイベントである。


ご主人は以前からピーコックバスを釣りたいと願っていた。テレビ番組「千夜釣行」で見て以来、いつかは釣ってみたいと夢見ていた魚である。
アマゾン川とハワイにしかいないという希少性。別名トゥクナレ。開高健の著書『オーパ』にもその雄姿が記載されている伝説の魚である。
ご主人の目は、少年のように輝いていた。大人になっても、人間は時として少年に戻る。その瞬間を目撃できることは、吾輩にとっても興味深い体験である。
ツアーの申し込みに350ドルもかかった。ご主人の財布には会心の一撃であったろう。しかしご主人は決断した。
「もう二度とない機会かもしれない」
この言葉には、ある種の哲学が込められている。人生は有限である。機会も有限である。ならば、今この瞬間を生きるべきではないか。財布の痛みよりも、後悔の痛みの方が大きいと、ご主人は判断したのである。
吾輩は思った。これは正しい選択である。牛として吾輩も、青々とした牧草を目の前にして躊躇したことはない。
クリス・ライトという謎の男
ガイドはクリス・ライトという人物であった。
「片言の日本語が話せる」という触れ込みであった。しかし実際には、ほとんど日本語が話せなかった。半日一緒にいて、クリスから聞いた日本語は「フ―、、アチュイ」だけであった。
吾輩は思った。モ〜、これは詐欺に近い。しかし考えてみれば「片言」という表現は実に曖昧である。一言でも話せれば「片言」と言えなくもない。言語とは、かくも恣意的なものである。
結果として、全ての会話が英語で行われることとなった。ご主人にとっては試練である。しかし危機的状況でこそ、人間の能力は開花する。税関でチケットを紛失した時も、英語が突然流暢になった。今回も同様であろう。
朝7時、クヒオビレッジホテルの前で待っていると、白のピックアップトラックがジョンボートを牽引してやってきた。実にアメリカンな光景である。吾輩は感動した。これぞハリウッド映画で見た光景そのものではないか。
しかも、乗っていたのはクリス一人だけである。つまり、バスボートはご主人の貸し切り状態なのである。350ドルの価値は、ここにあったのかもしれない。
十八、レイクウィルソン、或いは汚濁の湖
目的地のレイクウィルソン(アヒワヒ湖)までは、車で1時間半ほどであった。


到着すると、湖面はカフェオレ色になっていた。昨日の雨の影響である。
吾輩は思った。これは嫌な予感がする。魚釣りにおいて、水の濁りは大きな要因である。牛飼いにおいて、天候が重要であるのと同様に、釣りにおいても自然環境は全てを左右する。
しかしご主人は諦めなかった。クリスにピーコックバスの攻略法を尋ねた。
「岸沿いにルアーを投げて、ゆっくり引いてくるといい。ピーコックは捕食が下手だから、あまり速くジャークしない方がいい」
なるほど、理にかなっている。しかし理論と実践は別物である。
釣果と挫折の狭間で
ボートを降ろし、釣りが始まった。
ご主人は葦際にセンコー3インチのパールホワイトのノーシンカーをフォールさせていく。白のビーズを一個通したリグである。ハワイ仕様なのであろうか。
しばらくして、小気味良いアタリがあったが、乗らなかった。惜しい。
その間、クリスはティラピアをライブベイトにして置き竿状態にしていた。
ご主人はライブベイトに抵抗があるようだった。プライドの問題であろう。人間は時として、非効率な方法を選択する。それが美学というものである。吾輩にはよく分からないが、人間社会においては重要な概念らしい。
やがて、ルアーを追ってくるピーコックバスの姿を目撃した。
「おぉぉぉ!」
ご主人の興奮が伝わってくる。憧れのピーコックバスである。しかし見るだけで釣れない。これほど残酷なことがあろうか。ポイントを何度か移動し、リグもサスペンドミノーにチェンジした。そしてご主人は、ジャーキングの極意を会得した。ロッドを煽るような感じで、止めた時にラインスラックを取る方法である。
フッ・フッ・フッ〜、フッ・フッ・フッ〜。
この動作を永遠と繰り返す。ご主人は「クーコ奏法だ」と謎の言葉を呟いた。時折、レイザーラモンHGの顔が脳裏をよぎるらしい。
吾輩には、人間の連想ゲームが理解できない。しかしこれも人間の特徴なのであろう。無関係なものを結びつけ、意味を見出す。実に人間的な行為である。
レッドデビルとの邂逅
そして、ロッドを持っていかれるような強烈なバイトが来た。
「ピーコックか!?」
ご主人の期待が最高潮に達する。しかし中々上がってこない。やっと姿を現したのは、レッドデビルであった。


ピーコックではなかった。失望である。しかしクリスは言った。
「レッドデビルにしては大きいよ。ユー! ナイスなフィッシュね!」
親指を立てて称賛してくれる。クリスは良い人である。
吾輩は思った。モ〜、人生とはこういうものである。期待したものとは違うものが手に入る。しかしそれでも、何かが手に入ることには価値がある。レッドデビルはピーコックではないが、それでも釣果である。
ご主人もしっかりと写真を撮った。失望と満足が入り混じった複雑な表情である。
バラシという名の悲劇
その後も、もくもくと釣りを続けた。そして再び、ひったくられるようなアタリが来た。
「ピーコックだぁぁぁぁぁ!」ご主人の絶叫である。今度こそ本物である。しかし、どうがんばっても寄せられない。そのうちに、何かに引っかかった。クリスが長い金属の棒で取ろうとするが、駄目であった。
「多分、松の木に引っかかっているのだろう」10分後、クリスがポツリと呟いた。「ブレーキングラインね」
「パードン?」ご主人が聞き返す。しかし返事を聞き入れられることなく、ブチッという音と共に、クリスがラインを切った。ご主人の発音が悪くて「パー丼?」か何かに聞こえたのかもしれない。だんだん何人なのか分からなくなってくる。英語と日本語と、そして謎の言語が入り混じる混沌とした状況である。あっけなく、さようなら。
吾輩は思った。人生における別れとは、常にこのように突然訪れるものである。準備する暇もなく、心の整理もつかないまま、別れは訪れる。ご主人のプライドは、このラインと共にブレーキングしたのであろう。
その後、もう1本レッドデビルを追加した。クリスは「レッドデビルにしては大きいよ」と褒めてくれた。
クリスという名の聖人
クリスは葦にミノーを引っ掛けても、「スタック、ノープロブレム」と言って、嫌な顔一つせずに回収に努めてくれた。
「ほんまに、あんた、ええ人やぁ」ご主人は心の中で呟いていたに違いない。吾輩にも伝わってくる。時間は刻々と過ぎていく。焦りが募る。
クリスが時計を見て言った。「It’s game over」
終わりである。全てが終わった。ピーコックバスは釣れなかった。
最後の奇跡、そして絶望
しかし、その時である。ライブベイトのティラピア君に、強烈なアタリが来た。石鯛の3段引きを彷彿させるような、凄まじい引きである。
「Oh! Shit!」クリスも慌てて叫ぶ。ご主人は思いっきり合わせた。しかしビクともしない。それどころか、グングンと引き込まれる。日本のバスの引きなど比べ物にならない。
「これがピーコックの底力なのかぁぁぁ! こんなの、ハ・ジ・メ・テ♪」ドラグがジージー鳴りっぱなしである。メイクミラクル! 最後にドラマはやってくるのだぁぁぁぁ…
…ブチッ…
虚しい音と共に、全てが終わった。ご主人は虚無を見ていた。吾輩も虚無を見ていた。
「終わった…全てが終わった…ハワイよ、サラバ!!」
ご主人の慟哭である。吾輩は思った。人生とはこういうものである。最後の最後で、希望は絶望に変わる。しかしそれでも、人間は生きていかねばならない。ピーコックバスは釣れなかったが、この経験は確かにご主人の中に残る。それは財産なのか、それとも心の傷なのか。おそらく両方であろう。
知識という名の後悔
後日、ご主人は知った。ピーコックバスには高速早引きが有効だという事実を。ここにピーコックバスについて魅力的なサイトを発見したので紹介したい


「なんだと…」ご主人の落胆は深い。知識とは、時として残酷である。知らなければ後悔しなかったことも、知ってしまえば後悔の種となる。
また、レイクウィルソンの入り口には「Health Hazard(健康を害します)」という看板が立っている。殺菌処理済みの第一次下水が流れているらしい。現地の人々は、この湖に嫌悪感を持っているという。彼らの目の前には常に綺麗な海が存在しているのだから、当然であろう。


しかしご主人は、印旛沼の汚さに見慣れているので、特に何とも思わなかったらしい。経験とは、時として感覚を麻痺させるものである。帰りの車で、クリスと小一時間談笑しながら帰った。ピーコックは釣れなかったが、楽しい思い出になった。
収穫はミノーでの釣り方を習得したことである。これは日本に帰ってからも活用できる。また、クリスお勧めのセブンイレブンの「スパムおむすび」を食べられなかったのが残念だという。吾輩は思った。食べ物の後悔は、魚を釣り逃した後悔よりも長く続くものである。
最後のハプニング、或いは運命の悪戯
さて、ここで終わりではない。ご主人の珍道中には、もう一つ大きなハプニングが残されていた。
帰国の日である。
ご主人はフライト時間が翌日の夕方6時だと信じていた。だから、それまでどこで遊ぼうか悠長に考えていたのである。しかし夜中、ふと目が覚めた。なんとなく、フライトチケットを確認しておこうと思った。行きの時に落としかけた記憶が、無意識のうちにご主人を目覚めさせたのであろう。
チケットはあった。良かった。しかし、よーく見てみると…
「朝の6時!?」
ご主人の絶叫である。夕方6時ではなく、朝6時であった。今は夜中の3時半である。「ヤバイ! もう用意しないと! 寝ている場合じゃねーぞ!」
大慌てで荷物をまとめ、チェックアウトし、空港へ向かった。幸いなことに、余裕を持って空港に到着できた。あやうくハワイに取り残されるところであった。吾輩は思った。もしハワイに取り残されたら、ご主人は会社に何と言い訳するつもりだったのであろうか。
「すみません、フライト時間を12時間間違えまして…」想像するだに恐ろしい会話である。
しかし結果的には、夜中に目が覚めたことが幸運だった。人間の直感というものは、時として論理を超える。無意識の警告システムが、ご主人を救ったのである。
結珍道中の教訓
かくして、ご主人のハワイ珍道中は幕を閉じた。
振り返ってみれば、ハプニングだらけの旅であった。福袋のバッグが壊れ、フライトチケットを紛失しかけ、うるさいOLに悩まされ、酔っ払いに絡まれ、ハワイのグルメを堪能するのではなく毎日ラーメンを食し、ホノルルの夜の市街地を3キロ全力疾走し、ピーコックバスを逃し、そして最後には飛行機に乗り遅れかけた。
しかも旅行会社は今は倒産してしまった「テルミクラブ」である。


しかし、それでもこの旅は成功だったと言えるのではないか。なぜなら、ご主人は確かに生きていたからである。
安全で予定調和な旅は、記憶に残らない。しかしハプニングだらけの旅は、一生の思い出となる。失敗も、成功と同じくらい価値がある。いや、時として失敗の方が価値があるのかもしれない。
吾輩はこの旅で、多くのことを学んだ。人間の愚かさ、人間の強さ、人間の脆さ、そして人間の温かさ。ご主人は完璧ではない。むしろ不完全である。しかしその不完全さこそが、ご主人を人間たらしめているのである。完璧な牛は存在しない。完璧な人間も存在しない。我々は皆、不完全な存在として、この世界を生きている。
そしてそれでいいのである。人生とはそういうものである。
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