新橋で海鮮丼が食べたくなったら『みこ食堂』で立ち食いスタイルで食す|イタリアの風を感じる実食レポ

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吾輩は正確に言えば、胃袋が四つあるというだけで、人間よりも三倍ほど多く形而上学的な後悔を反芻できる特異な存在である。

あれは春まだ浅い三月の風の頃であった、文明の残り香を運んでくる。しかし、今日の風が運んできたのは、芳醇な花の香りではなく、隣を歩く男、payaの鼻を真っ赤に染め上げる「目に見えない微細な暴力」すなわち花粉であった。自由気ままにシャッターを切り、ピッチを駆けるボールに情熱を燃やす彼も、この季節ばかりは神が仕組んだ意地悪なフィルターに苦しんでいる。

我々は二度目の「鰻チャレンジ」に挑んでいた。鰻とは、泥の中で悟りを開き、炭火の上で完成される哲学的な魚だ。しかし、辿り着いたその扉には「臨時休業」という無慈悲な宣告が掲げられていた。二度あることは三度あるのか、あるいは我々が鰻に拒絶されているのか。payaは真っ赤な鼻をすすりながら、

Paya

魚、魚が食べたいんだ……

と、まるで海の声を聴こうとする迷える子羊のように呟いた。

我々は茅場町で路頭に迷い、最終的に新橋の路地裏に鎮座する「みこ食堂」へと意識をロックオンした。新橋。そこは欲望とネクタイが交差する、サラリーマンの聖地。その一角に、わずか六人ほどで満員となる「立ち食い」の小宇宙が存在した。

「立ち食い海鮮丼 みこ食堂」の構造的考察

項目内容
店名立ち食い海鮮丼 みこ食堂
運営母体新橋を中心に展開する「みこ酒場」グループ。
最大の特徴「予約困難店」のクオリティを、立ち食いというストイックな形式で民主化した点。
歴史・FACT2022年5月10日オープン。高級鮨店「みこ寿司」の姉妹店として、より手軽に「本物」を提供するために誕生。
システム完全セルフサービス、完全キャッシュレス(券売機)、そして立位による高効率な食事体験。

狭小な店内は、まるで満員電車の一部を切り取って、そこに海の幸を詰め込んだような密度である。私は「マグロ丼(1,500円)」を選び、payaは「日替わり丼(1,900円)」という、より彩り豊かな選択肢に自己を委ねた。

店外で待機していると、一人の異邦人が我々に話しかけてきた。

「Hey, 君たちは東京の人かい? 今日は何をオーダーしたんだい?」

彼の瞳には、遠い地中海の太陽が宿っている。私は、数少ない脳内辞書を総動員し、「どこから来たのか」と問うた。

「イタリアだよ。ミラノだ」

ミラノ。その響きに、私は反射的に「ACミランか」と応じた。しかし、彼は即座に、冷徹なまでの否定を突きつけてきた。

「No, No, No! インテルだ!」

彼は誇らしげにエンブレムを見せてくれた。なるほど、サッカー狂のpayaが横で目を輝かせている。イタリア人にとってのクラブチームとは、もはや血液型のようなものなのだろう。ミラノという街を二分するこの巨大な宗教戦争において、私は不用意に異教徒の聖域に踏み込んでしまったわけだ。彼はこの近くに住んでおり、まだ来日して日は浅いと言うが、この「みこ食堂」の常連なのだという。海を越えてやってきた男が、新橋の立ち食いスタイルを日常としている。グローバリゼーションとは、すなわち胃袋の均質化なのかもしれない。そういえば外食すると、しばしば外国の人と会話することがよくあるのだ

店内へ招き入れられる。

そこには椅子という概念が存在しない。垂直に立ち、重力に抗いながら食す。これは食事というよりは、一種の儀式だ。セルフサービスの「すまし汁」が、胃壁を優しく撫でる。海藻が踊るその汁は、おかわり自由という慈悲に満ち、ほうじ茶の温もりが花粉に痛めつけられたpayaの粘膜を癒していく。

そして、その時は来た。

着丼ドーンだ!!

私の前に現れた「マグロ丼」は、自己承認欲求の塊のようであった。赤身、中トロ、それらが重なり合い、一切の妥協を許さない密度で米を覆っている。一口運べば、マグロの脂が舌の上で「存在の証明」を始める。

一方、payaの前には、マグロ、サーモン、イカ、イクラ、ウニ、ホタテ……海の宝石箱をひっくり返し、それを強引に秩序立てたような「日替わり丼」が鎮座していた。肉よりも魚を愛する彼にとって、これは福音に他ならない。

Paya

……うまい。花粉で麻痺した感覚が、潮風で洗われていくようだ

payaは、独り言のように、あるいは宇宙への感謝のように呟きながら、黙々と箸を動かしている。

私は、隣でさらに巨大な丼を掻き込むイタリアのインテリスタを横目に、考察を深める。

人間はなぜ、わざわざ立ってまで海鮮を食らうのか。それは、座って寛ぐ余裕さえ惜しんで、純粋な「鮮度」と「効率」の極北に辿り着きたいという、現代人の飢餓感の現れではないか。マグロの赤い色彩は、我々の血管を流れる情熱のメタファーであり、それを飲み込む行為は、生命の連鎖を受け入れる厳粛なプロセスなのだ。

完食。

店を出る際、例のミラノの男に声をかける。

「Good day the rest of your day. ――チャオ!」

彼は親指を立て、眩しい笑顔で我々の「ハッピーな一日」を祝福してくれた。

別れた後、私は少しの後悔に苛まれた。「ボンジョルノ」や「アリデヴェルチ」くらい、気の利いたイタリア語を投げつければよかったのだ。日頃の学びの少なさが、こうした決定的な局面で露呈する。知識とは、いつか使うための武器ではなく、相手の懐へ飛び込むための通行証なのだ。

新橋の喧騒の中、私は四つの胃袋のどれかが、まだマグロの余韻を反芻しているのを感じた。payaは相変わらず鼻をすすっているが、その表情には、鰻に振られた者の悲壮感は微塵もなかった。

吾輩は牛である。しかし、今日ばかりは、この「立ち食い」という人間界のストイックな文化に、深い敬意を表さざるを得ない。

投稿者プロフィール

モウモウ
モウモウ大富豪になっても結局食と旅
吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。

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