
こんにちは書生です。今回は新宿ミロード閉店についての所感を述べていきたく思います。最後までよろしくお願いします
新宿ミロードに行こうと思ったきっかけは、友人との久しぶりの再会でした。新宿ミロードは私たちにとって特別な場所でした。特に、ミロードの5Fにあるスタバで何時間も語り合った思い出が強く残っています。その日も、友人と「久しぶりにミロードに行こうよ」と話し合い、懐かしさを感じながら足を運びました。


しかし、到着してすぐに気づいたのは、閉店を知らせ告知でした。新宿ミロードが2025年3月16日をもって閉店するというニュースは知っていましたが、実際に目の当たりにすると、胸に込み上げるものがありました。私たちは、最後の思い出を作ろうと、店内をゆっくりと巡ることにしました。


どうやら新宿駅西口地区開発計画の進捗に伴い閉店の流れになるそうです
閉店を惜しむ声が多数に胸熱


やはり長い歴史を誇る駅ビルの別れともなると、人それぞれの思い出も山積されているのだろう。
この写真スポットで私自身も想い出と共にシャッターを切ったのは言うもでもないでしょう


そして私も寄せ書きにささやかながら協力してきました。
書いた内容は「メンショーサンフランシスコ最高」というショーもない内容ですがね。
新宿ミロードに入っているテナントとは?
新宿ミロードは、新宿駅東口から徒歩1分という好立地にあり、多くの人々で賑わっていました。特に、若い女性に人気のファッションブランドや雑貨店が多く入っており、いつも活気にあふれていました。
また、カフェがあり、ここで過ごした時間は多くの人々にとって特別な思い出となっています。カフェの雰囲気は落ち着いており、友人との会話や一人でのんびり過ごすのに最適な場所でした。特に、5Fのスタバの窓から見える新宿の街並みは、都会の喧騒を忘れさせてくれるような癒しの空間でした。
新宿ミロード成り立ち
新宿ミロードは、1978年にオープンした商業施設で、新宿駅東口の再開発プロジェクトの一環として建設されました。当時、新宿は急速に発展を遂げており、新しい商業施設の需要が高まっていました。ミロードは、その流れに乗って誕生し、若者向けのファッションや雑貨を中心としたテナント構成で、多くの人々に愛される場所となりました。
特に、1980年代から1990年代にかけては、新宿の若者文化の中心地としての地位を確立しました。ミロードは、トレンドの発信地としての役割を果たし、多くのファッションブランドやカルチャーを生み出してきました。また、新宿駅の利用者が多いことから、通勤や通学の途中に立ち寄る人々も多く、日常の一部として親しまれていました。


7Fにはいつも美味しいグルメ店が
閉店間際の新宿ミロードは、いつもとは違う雰囲気に包まれていました。店内は、閉店セールでいつもよりも多くの人々が訪れており、賑わいを見せていましたが、どこか寂しさも感じられました。私たちは、かつてよく訪れたお店を一つ一つ巡りながら、思い出に浸りました。
特に、7Fにある【メンショーサンフランシスコ】というサンフランシスコが本店で逆輸入する形で日本にできた経緯があったと聞きます。


かのイングランド代表のデビッド・ベッカムがプライベートジェットを飛ばしてマンチェスターからサンフランシスコまで、このラーメンを食べにくるという伝説のラーメン屋があるのです。
よく、モウモウ先生と食べに行きました。
先生はよく抹茶ラーメンを食べており、うまい、うまいを連発していました。
いや、女子高生か!と内心突っ込んでいましたが、今となってはいい思い出です。


我々も最後に食べに行きました。店員さんに



サンフランシスコさんはどこかに移転とかしないのですか?
と聞いてみましたが



まだ未定なので、SNSでご確認下さい
と言われたのでフォローしておくことにしました。
・・・とここで新情報です


これは皆さんも朗報なのではないでしょうか?
また、ミロードでは閉店セールで、多くの商品が割引価格で販売されておりました。


新宿ミロードの閉店後の真相
SNSでは、多くの人々がミロードでの思い出を投稿しており、その影響力の大きさが伺えます。特に、若者たちにとっては、ミロードが単なる商業施設ではなく、自分たちのアイデンティティや思い出の一部となっていたことがよくわかります。
また、閉店後は、新宿ミロードの跡地に新しい商業施設が建設される予定だと聞きました。新しい施設がどのようなものになるのかはまだわかりませんが、ミロードが残した遺産を引き継ぎ、新たな歴史を築いていくことを期待しています。


新宿ミロードは、私たちにとって特別な場所でした。そこでの思い出は、これからも私たちの心の中に生き続けることでしょう。閉店は寂しいですが、それまでの長い歴史と多くの人々に愛されたことを誇りに思います。新宿ミロード、ありがとう。


投稿者プロフィール


- 大富豪になっても結局食と旅
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吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。
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