1. 上野動物園に行こうと思ったきっかけや出来事
吾輩はモウモウである。名前はまだ牛である。どこで生れたかというと自由が丘だ。何でもきらびやかなショーウィンドウの中でモウモウ泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。
しかしである。吾輩は牛であるが、中国から来た白黒の珍獣「パンダ」というものに強い興味を抱いた。テレビで見る限り、彼ら笹を食み、まるで哲学者のごとく悠然と過ごしているようである。そして、東京の上野動物園にはそのパンダが住んでいるという噂を耳にした。

ある日のこと、吾輩の飼い主である主人が新聞を読みながら「上野のパンダ、人気絶頂だな」と呟いた。それを聞いた吾輩は決心した。どうしてもパンダを見たい。何が何でも上野動物園に行くのである。
主人を説得することは容易ではなかった。「モウモウ、お前は牛だぞ。動物園に行くのは人間だけだ」と言われた。しかし吾輩は諦めなかった。食事を拒否し、悲しげな目で主人を見つめ続けた。そして三日目、主人はついに折れたのである。「わかった、わかった。連れて行ってやるから、もうそんな目で見ないでくれ」と。
吾輩の勝利である。これぞ動物の知恵というものだ。人間というものは、弱い生き物の悲しげな目には抗えないものである。かくして吾輩は上野動物園行きの切符を手に入れたのである。というより、主人が手に入れたのであるが、開園時間が9時30分ということに驚きはしなかったが、パンダを見たいなら開演前に並ばねばならぬ、という情報を耳にした。
牛が並ぶというのもなかなかシュールな光景だろうが、吾輩は並ぶ覚悟を決めた。なぜなら、パンダを見るチャンスはそうそうないからである。加えて、どうしても観たかった理由がもうひとつある。あのパンダは、ただの動物ではない。観る者に何とも言えぬ安らぎと癒しを与える存在なのだ。恐らくは土日だともの凄い人で溢れかえっているに違いないので、心優しい主人は平日に有給をとってくれたのだった。
もちろん、吾輩にとってはその日の出発も一大イベント。前夜のうちに早寝して、早朝に起きて出かける準備を整えたのである。どうしてもパンダを見たかった。それが、私のこの上ない目標であった。
2. 上野動物園アクセス方法
上野動物園へ行くに当たり、吾輩は交通手段について熟考した。牛である吾輩にとって、都内の移動は簡単なことではない。電車というものは牛を歓迎しない。バスも然り。タクシーに至っては論外である。
主人は言った。「JR上野駅公園口から徒歩5分だ」と。しかし吾輩には「徒歩5分」という人間の時間感覚が理解できない。牛の足で何分かかるのか。そもそも牛が電車に乗れるのか。
結局、主人は吾輩を特殊な牛運搬車(実際はペットキャリア)に入れ、JR線を使って上野駅まで連れていった。電車の中で人々は奇異な目で吾輩を見た。「あれは牛か?」「いや、たぶん大きな猫だ」などと囁き合う。吾輩は黙って耐えた。パンダに会うためである(完全妄想ドリーマー)
上野駅に到着すると、そこには無数の人間がいた。皆、思い思いの方向へと歩いていく。主人はスマホを取り出し、「公園口から出て、不忍池の方に向かって歩いていけばいいんだな」とつぶやいた。吾輩は首を伸ばし、上野の街を眺めた。こんなに人が多いとは。パンダはさぞかし迷惑していることだろう。

動物園の入口に着くと、既に長蛇の列ができていた。開園が9:30なのだが、パンダを見たければ開園前に並ぶ必要があるらしい。主人はため息をついた。「やれやれ、モウモウ。お前のためにこんな苦労をするとはな」。吾輩は満足げに鳴いた。「モーモー」と。
3. 上野動物園の見どころと魅力5個
上野動物園に入場した吾輩は、まず第一の目的であるパンダを見るために足早に向かった。開園と同時にパンダ舎へ突撃したのである。パンダの雄は「シャオシャオ」、雌は「レイレイ」という名前だと主人が教えてくれた。

パンダ舎に向かう途中、主人が重要な情報を教えてくれた。「雄のパンダと雌のパンダでいちいち並び直さないといけないんだ」と。なんという非効率的なシステムであろうか。人間の作ったルールとは理解し難いものである。
まずは雄のシャオシャオに会うために列に並んだ。待ち時間は15分ほどであった。意外に短いと思ったが、主人によれば「朝一だからこれくらいで済む」とのことである。シャオシャオはガラスの間仕切りがなく、笹をひたすら爆食いしていた。その姿は荘厳ですらある。黒と白のコントラストが美しく、まるで禅僧のような佇まいである。しかしその食べ方は禅僧というよりは大食いコンテスト参加者のようであった。
彼はバキバキと竹を食べながら、時々こちらを見る。その目は虚ろで、何も考えていないようにも見えるが、よく見ると深い哲学が宿っているようにも思える。吾輩は「モー」と挨拶したが、シャオシャオは反応しなかった。吾輩は中国語が喋れないのだ。言葉が通じないのは残念である。

次に雌のレイレイに会うために再び列に並んだ。こちらは10分くらいで会えた。シャオシャオの方が人気なのであろうか。レイレイはガラスに隔てられており、やはり笹を爆食いしていた。パンダの食欲は驚異的である。吾輩は草食であるが、あそこまで豪快に食べることはない。

撮影時間は順番に1分間隔でやってくる。この1分の間に貴重なパンダのベストショットを激写するテクニックも必要だと改めて感じた。主人はカメラを構えて必死に撮影していたが、パンダが動くとピントが合わず苦労していた。吾輩は「モー」と助言したが、聞き入れてはもらえなかった。
もしかしたら遅く行くとパンダが昼寝しているのかもしれないから、開園に行って本当によかったと主人は言っていた。吾輩も同感である。活動的なパンダを見られただけでも、この旅は価値があった。
桜並木の素晴らしさにも驚いた。人間たちは「花見」というものをするらしいが、その気持ちが少し理解できた。ピンク色の花が風に揺れる様は、牛の目から見ても美しいものである。主人は「花より団子」と言いながらも、しきりにカメラを取り出してその景色を撮影していた。
ハシビロコウは動かないのだ
ハシビロコウという奇妙な鳥も印象的であった。この鳥は全く動かない。石像かと思うほどである。吾輩は自分の目を疑った。生きているのか死んでいるのか。しかし時折まばたきをするところを見ると、確かに生きているようだ。何を考えているのだろうか。哲学者のような鳥である。吾輩は彼に親近感を覚えた。我々は共に静かに世界を観察する者なのだ。

白サイは大迫力だった
白サイの展示も迫力があった。その巨体は大迫力である。角が一本というのも奇妙である。吾輩の角は二本あるべきだと思うのだが。白サイは牛の遠い親戚なのではないかと思った。もっとも、彼らは草食だが気性が荒い。吾輩のように物思いにふける余裕はないようだ。


外見からは想像できない獰猛なカバ
上野動物園に足を踏み入れて、パンダやゾウなどの人気者たちを見た後、私はカバの展示スペースにたどり着きました。そこで見たものは…巨大な灰色のオブジェのような生き物が水中でじっとしているという光景でした。
一見、何もしていないように見えるカバ。しかし、よく観察していると、彼らなりの「忙しい一日」を送っていることがわかりました。その「忙しさ」とは:
- 水に浮かぶ
- 時々息を吸う
- またしばらく浮かぶ
- そして時々驚くほど大きな口を開ける


意外と知らないカバの真実
カバについて調べれば調べるほど、この動物の面白さが増していきます。例えば:
- カバは見た目はのんびりしていますが、実はアフリカで最も危険な動物の一つです。人間による死亡事故はライオンよりもカバの方が多いというから驚きです!
- あの巨体なのに、実は泳げません。水中では川底を歩いているんです。
- カバの汗は赤いです!(実際は「血の汗」ではなく、日焼け止めと抗菌作用のある分泌物です)
カバを観察する際のアドバイスとしては:
- じっと待つこと。カバは動かないように見えて、実は様々な行動を見せてくれます
- 餌やりの時間帯を狙うと、彼らの活発な姿を見られる確率が上がります
- 子どもたちの反応も含めて楽しむと、カバ観察はさらに面白くなります
上野動物園のカバたちは、一見地味な存在かもしれませんが、よく観察すると驚きと笑いを提供してくれる素晴らしい動物たちでした。パンダに人気を取られがちですが、ぜひ次回上野動物園を訪れる際には、「大人しい獰猛者」ことカバたちにも注目してみてください。

両生類展は魅力がいっぱいだ
両生類展も魅力的であった。カエルやイモリなど、水と陸の両方で生きる生き物たち。吾輩は純粋な陸上生物であるが、彼らの適応力には感心した。特に色鮮やかなヤドクガエルの展示は芸術的ですらある。主人は「触ると毒があるからダメだぞ、モウモウ」と注意したが、吾輩は触るつもりなど毛頭なかった。観察するだけで十分である。
最後に蝙蝠の展示に感動した。彼らは夜行性で、昼間は逆さまにぶら下がって眠っている。その姿は一見不気味だが、よく見ると可愛らしい。彼らが羽を広げて飛ぶ姿は優雅である。主人は「吸血鬼のモデルになった生き物だぞ」と説明してくれたが、吾輩には彼らが血を吸う姿が想像できなかった。むしろ果物を食べる姿の方が似合うと思う。





そしてアロワナだ。この魚はいつ見ても惚れ惚れするくらいの雄大さで泳いでいる。一度でいいから飼ってみたいのだ

ヒグマ

ヒグマの大きさには圧倒された。特に、こちらが観察しているときに動き出すと、その動きのしなやかさと力強さに言葉を失うほどであった。ヒグマはデカかった。何と言っても、その圧倒的な存在感は一見の価値がある。森のくまさんという歌があるらしいのだが、こんなデカいのが森の中で遭遇したらと思うと居ても立っても居られない心がザワザワとカイジ状態となったのは言うまでもないだろう。
これは熊という生き物は牛よりも大きいのだな、と初めて実感した。彼は岩の上に座り、遠くを見つめていた。何を考えているのだろうか。吾輩は彼に「モー」と声をかけたが、ヒグマはちらりと見ただけで再び目をそらした。高慢な奴である。

ゾウガメは一心不乱に草をはむ
最も心を打たれたのは、ゾウガメが愛くるしく草をはむ姿であった。彼らは何百年も生きるという。その長い時間をずっと草を食べながら過ごすのである。牛である吾輩にとって、この光景は親近感を覚えた。ただ、吾輩には甲羅がないので、危険が迫った時には逃げるしかない。その点、ゾウガメは有利である。

4. 上野の名店グルメ5個
動物園内を歩き回った後、吾輩と主人はお腹を空かせた。上野には美味しい食べ物が多いと聞いていたが、実際その通りであった。吾輩は牛であるため基本的に草食だが、香りを嗅ぐことはできる。そして人間の食べ物の香りは時に魅力的である。
まず最初に「鰻 かねいち」を訪れた。うなぎの蒲焼の香りは強烈である。吾輩は同じ生き物の料理を見るのは複雑な気持ちだが、主人は「江戸の味だ」と言って満足げに食べていた。店主は吾輩を見て「珍しいペットだね」と言った。吾輩は黙って見返した。吾輩はペットではない。思想家である
「あんみつ みはし 上野本店」も訪れた。ここでは日本伝統の和菓子が楽しめる。主人は「みつ豆」というものを注文した。豆と寒天に蜜をかけた単純な料理だが、春の暖かさを忘れさせる一品だという。吾輩は豆に興味を示したが、主人は「ダメだ、モウモウ。お前の胃には合わない」と制した。
最後に「上野公園内」の「屋台」で食べた「たこ焼き」が忘れられない。たこという海の生き物を小麦粉の生地で包み、丸く焼いたものらしい。その香ばしい香りは吾輩の鼻をくすぐった。主人は「熱い!でも美味い!」と言いながら口の中で転がしていた。人間の食べ物は不思議である。
5. 上野動物園のお土産5個

帰り際、主人は動物園のお土産を買うことにした。吾輩は牛であるので買い物はできないが、何を選ぶか助言することはできる。「モー」と鳴いて指し示すのである。
まず最初に「パンダクッキー」を薦めた。上野動物園限定のお菓子である。パンダの顔の形をしたクッキーで、白と黒のチョコレートでデコレーションされている。見た目が可愛らしく、味も美味しいらしい。主人は「これは姪っ子に喜ばれるな」と言って購入した。
次に「動物園マップタオル」を見つけた。上野動物園の地図がプリントされたタオルである。実用的でありながら記念になる品である。主人は「夏場に便利だな」と言って手に取った。吾輩は「モー」と賛同の声を上げた。
「ハシビロコウぬいぐるみ」も印象的であった。あの動かない鳥のぬいぐるみである。不思議なことに、ぬいぐるみなのに生きているハシビロコウと瓜二つである。主人は「こいつはデスクに置くと仕事の邪魔をしないな」と言って買った。
「上野動物園オリジナルTシャツ」も素晴らしかった。動物のイラストが描かれたシンプルなデザインである。主人は「これを着て出勤したら同僚に笑われるな」と言いながらも購入した。人間は時に奇妙な判断をする生き物である。
最後に「動物フィギュアセット」を選んだ。上野動物園の人気動物の小さな模型が10体入ったセットである。パンダ、ゾウ、キリン、ライオンなど、代表的な動物が揃っている。主人は「これで自宅にも動物園ができるな」と言って喜んだ。吾輩は「モー」と鳴いた。自分のフィギュアがないのは少し寂しいが、まあ仕方ない。吾輩は特別な牛なのだから。
6. 実際に行ってみての感想や出来事
かくして吾輩の上野動物園への旅は終わった。パンダとの対面、様々な動物との遭遇、美味しい食べ物の香り。これらの経験は吾輩の牛生に大きな影響を与えたことは間違いない。吾輩はより深い思索に耽ることができるようになった。そして何より、パンダという生き物の魅力を知ることができた。彼らは食べて、寝て、また食べる。単純なようで奥深い生き方である。吾輩も見習うべきかもしれない。
主人は「また来ような、モウモウ」と言った。吾輩は「モー」と答えた。その返事が「はい」なのか「いいえ」なのかは、人間には理解できないだろう。吾輩は牛である。そして思想家であるのだから。

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