出かける気満々なのに雨だった!あなたならどうしますか?

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今日は雨降りである。朝から空はどんよりと曇り、やがて細かな雨粒が窓を叩き始めた。やれやれ、である。吾輩の有給消化中の主人は昨夜から今日の外出予定について、あれこれと計画を立てていたのである。どこそこのカフェで新作のパンケーキを食べ、その後書店で新刊を物色し、夕方には友人と待ち合わせをして居酒屋で一献傾ける、などという具合に。

ところが、この雨である。主人の計画は見事に狂ってしまい、現在リスケジュール中というありさまである。電話やらメールやらで、あちこちに連絡を取っている姿を見ていると、人間という生き物の脆弱さを改めて実感するのである。たかが雨程度で、なぜそれほど右往左往するのか。牛である吾輩には理解に苦しむところである。

しかし、ここで一つ興味深い問題が浮上する。こういう時、皆さんならどう思うであろうか。出かける気満々だったのに雨に降られた時の心境である。これは実に人間の性格を如実に表す試金石と言えるのではないだろうか。

大きく分けて二つのパターンがあるように思われる。第一は「あーあ、雨かぁ」と言って、すっかりやる気をなくしてしまうタイプである。彼らは天候に左右されやすく、予定が狂うと途端に意気消沈してしまう。まるで風に揺れる柳の枝のように、外的要因に振り回されるのである。

こうした人々は、雨が降ると決まって「今日は外出する気になれない」などと言い出す。そして一日中、家の中でゴロゴロと過ごすことになる。確かに、それも一つの過ごし方ではあろう。しかし、吾輩から見れば、いささか消極的に過ぎるのではないかと思うのである。

一方、第二のタイプは「雨なら雨で、家で読書したり映画を見たり昼寝をしよう」と考える人々である。これは前者よりもはるかに建設的な思考と言えよう。彼らは状況の変化を受け入れ、それに応じて新たな楽しみを見つけ出すのである。

実際、雨の日の室内での過ごし方というものは、なかなか味わい深いものがある。窓の外で降り続く雨音を聞きながら、温かいコーヒーを片手に読書に耽る。あるいは、普段は忙しくて見ることのできない映画をゆっくりと鑑賞する。昼寝などは、雨音が子守歌代わりとなって、実に心地よい眠りをもたらしてくれるものである。

吾輩の主人も、時としてこの第二のタイプの行動を取ることがある。雨の日に急遽予定を変更し、一日中書斎にこもって読書に没頭したり、溜まっていた映画を一気に見たりするのである。そうした時の主人の表情は、実に穏やかで満足そうである。

しかしながら、吾輩は全く異なる第三の選択肢を提案したい。それは、雨にも関わらず強行に出かけるという選択である。

そう、吾輩は雨の日でも堂々と外出するのである。傘を差し、長靴を履き、雨具に身を包んで颯爽と街を歩く。これぞ真の自由人の生き方ではないだろうか。天候ごときに左右される人生など、つまらないではないか。

雨の日の街には、晴れた日とは全く異なる魅力がある。雨に濡れた石畳は美しく光り、街角のカフェの温かい灯りがより一層魅力的に見える。普段は賑やかな通りも、雨のおかげで人影がまばらになり、まるで自分だけの秘密の空間のように感じられるのである。

また、雨の日だからこそ楽しめるグルメもある。温かいスープや、湯気の立つラーメン、焼きたてのたい焼きなど。これらの食べ物は、雨の寒さがあってこそ、その美味しさが際立つのである。晴れた暖かい日に食べるそれらとは、全く違った味わいがあるものだ。

さらに言えば、雨の日に外出することで、普段とは違った人々との出会いがある。同じように雨をものともせずに出かけてきた人々との間には、不思議な連帯感が生まれるものである。駅のホームで雨宿りをしながら交わす何気ない会話や、カフェで隣り合わせになった見知らぬ人との微笑みの交換など、こうした小さな人間的触れ合いは、雨の日ならではの贈り物と言えよう。

もちろん、雨の日の外出には困難も伴う。傘を差していても服が濡れることはあるし、靴の中に水が浸み込むこともある。電車は遅れがちになり、予定通りに事が運ばないことも多い。しかし、そうした困難を乗り越えてでも外出する価値はあるのである。

なぜなら、人生とは予期せぬ出来事の連続だからである。天候一つとっても、我々の思い通りになることは稀である。であるならば、その変化を受け入れ、むしろ楽しむくらいの度量を持ちたいものである。

吾輩の主人を見ていると、時として雨に負けて家に閉じこもることもあれば、雨をものともせずに出かけることもある。これは実に人間らしい態度と言えよう。その時の気分や体調、あるいは外出の目的によって判断を変えるのである。

しかし、吾輩としては、できるだけ後者の選択をお勧めしたい。雨の日にしか味わえない体験というものが、確実に存在するからである。それを逃すのは、実にもったいないことではないだろうか。

結局のところ、雨に対する態度というものは、その人の人生観を表しているのかもしれない。困難から逃げるか、立ち向かうか。変化を嫌うか、楽しむか。受動的に生きるか、能動的に生きるか。

吾輩は牛でありながら、できるだけ能動的に生きたいと思っている。たとえ雨が降ろうと槍が降ろうと、自分の意志で行動を決めたいのである。もちろん、それも気分次第ではあるが。

さあ、あなたも次に雨が降った時には、ぜひとも外出を検討してみていただきたい。きっと新たな発見があることであろう。

ところが、この後すっかり晴れてしまった。こういうのが一番予定を狂わせてしまうものなのだよ

オーマイガー!

投稿者プロフィール

モウモウ
モウモウ大富豪になっても結局食と旅
吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。

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