ジャングルと保護区の間で
朝の光が差し込むカフェの窓辺。外を行き交う人々を観察する。通勤ラッシュという名の群れは、それぞれの縄張りへ向かう狩猟民族のようだ。
「今日も狩りに行ってくるよ」
隣の席の若い男がスマホに向かってそう言い、エスプレッソを一気に飲み干す。その目には、獲物を追う狩人の鋭さが宿っている。
彼らが向かうのは「超繁忙ジャングル」――現代のコンクリート叢林に築かれた狩場だ。ここでは時間単位で生産性が測定され、常に次の獲物を追い求める。デジタル時代の狩猟民族とも言える生き様。
「昨日の営業成績、トップだったよな?すげえや」
「いや、でも今月のノルマまだ達成してないからな…」
会話の端々から、ジャングルの厳しさが伝わってくる。ここで生き残る者たちは、スキルを研ぎ澄まし、報酬という食料を手に入れる。だがその代償として、燃え尽き症候群という餓死のリスクと常に隣り合わせだ。
ふと視線を転じると、公園のベンチで新聞を読む中年の男性。時計を見るでもなく、ゆったりとコーヒーを啜っている。
「定年まであと十年…のんびり行こうよ」
彼のそんな呟きが風に乗って聞こえてくる。
こちらは「職場ニート保護区」の住人だ。安定した食料供給のある農耕民族的生活。自己実現よりシステム維持が優先され、変化よりも安定が重んじられる。
「うちの会社、ホワイト企業ってわけじゃないけど、まあまあかな」
そう言いながらも、彼の目にはどこか物足りなさが漂っている。保護区の安全は保証されているが、いざ外に出た時の生存能力が危ぶまれる。
観察を続けるうちに、年齢によって適した環境が異なることに気付く。
20代の狩人たちは、失敗を許容するジャングルで基礎体力を養う。30代になると、単独狩りから集団狩りへとスタイルを変え、獲物の質で勝負する領域を見つける。
40代の熟練狩人たちは面白い。彼らは狩りの技術を若者に教えながら、自分たちの価値を高めている。かつては獲物を追うことだけが全てだったが、今では「教えること」それ自体が新たな狩りになっている。
50代後半のベテランたちは、無理な狩りを避けながらも、その豊富な経験を武器に新たな役割を見つける。かつての速さや若さではなく、深い知識と広い人脈が彼らの強だ。
現代の職場生態系は複雑に変化している。
「リモートワーク」という名のテリトリー拡大は、物理的な縄張り概念を変えた。「AI活用」という新たな狩りの道具は、狩りの方法そのものを変えつつある。
「ワークライフバランス」という生態系保護運動は、過度な狩猟に制限をかけ、「副業」という共生関係は、単一の狩場に依存しない生き方を可能にした。
自然界で一つの環境に適応しすぎた種は、環境変化で真っ先に滅ぶ。人間の職場でも同じことが言えるのではないか。
重要なのは、今いる環境が自分に適しているかどうか。次の環境変化に備えて何を準備するか。そして何より、複数の環境を行き来する術を身につけること。
外ではまだ人々が行き交っている。ジャングルを目指す者、保護区に戻る者、あるいは全く新しい狩場を求める者。
吾輩はコーヒーの冷めたカップを片付け、次の観察場所へ向かう。現代という森は広く、まだ観察すべき種がたくさんいるのだから。
二つの生存戦略
超繁忙ジャングル
・常に獲物を追いかける狩猟民族的生活
・時間単位で生産性を測定される現代の工場
・メリット:スキルが鋭く研がれる、報酬という食料が豊富
・デメリット:燃え尽き症候群という餓死のリスク
職場ニート保護区
・安定した食料供給のある農耕民族的生活
・自己実現よりシステム維持が優先される
・メリット:生存の安全が保障されている
・メリット:文化的活動(自己研鑽)の時間が確保できる
年齢別適正生存様式
若き狩猟者たち(20-30代)
・失敗を許容するジャングルを選べ
・獲物の追い方より「狩りの作法」を学べ
・いつか自分の狩場を作るためのネットワークを築け
熟練の狩人(40-50代)
・狩りのスタイルを転換せよ:単独狩りから集団狩りへ
・獲物の質で勝負できる領域を見つけよ
・若い狩人に教えることで自分の価値を高めよ
長老としての生存(50代後半-)
・無理な狩りは身体を壊す
・「知恵の提供」という新たな役割を見つけよ
・多様な生態系との接点を持て
現代の職場生態系あるある
・「リモートワーク」という名のテリトリー拡大
・「AI活用」という新たな狩りの道具の登場
・「ワークライフバランス」という生態系保護運動
・「副業」という共生関係の構築
結局のところ、重要なのは:
「どの生態系が今の自分に適しているか」
「次の生態系移行のために何を準備するか」
「複数の生態系を行き来する術を身につけるか」
ではないだろうか。
自然界では一つの環境に適応しすぎた種は、環境変化で真っ先に滅ぶ。人間の職場でも同じことが言えるのかもしれない。
投稿者プロフィール

- 大富豪になっても結局食と旅
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吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。
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