【神田・香川一福】ミシュラン掲載のカレーうどんを食す。吾輩が語るフレンチと讃岐の融合、あるいは人生の味変について。

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吾輩は稀代の食通モウモウである。この命がやがて食肉という絶対的な記号に還元される運命を思うと、うどん一杯の哲学でも語らねば気が済まない。生来の思索癖が抑えきれず、同伴者のマロン君を引き連れ神田の「一福」に足を向けた。この店、細くとも鋼の如き意志を持つ讃岐流の麺と、透明な出汁のコントラストを哲学としているらしい。店内は照明もいい具合で、妙にオシャレ感がある。

神田という街は奇妙だ。古書とサラリーマンとカレーの匂いが渾然一体となっている。そこへ来てこの「香川 一福」である。ただのうどん屋ではない。ここは、あのタイヤメーカーが発行する赤い本――ミシュランガイドのビブグルマンに連続して選出されたという、いわば「権威のお墨付き」を得た聖地なのだ。人間というのは権威に弱い。吾輩たち家畜が飼い主の鞭に弱いのと同じ原理かもしれないが、彼らは自ら進んで行列という名の柵に並ぶのだから、マゾヒズムの極みである。

さて、この店の歴史について少しばかりの反芻しておこう。 本店は香川県、うどんの聖地にある名店「一福」。そこの大将が打つ麺は、讃岐うどんの常識を覆す「細麺」であることで知られる。通常、讃岐といえば太く猛々しい麺を想起させるが、ここの麺は柳のようにしなやかで、しかし決して切れることのないコシを持つという。 そして何より特筆すべきは、これから吾輩が対峙する「カレーうどん」の出自だ。これは単なる蕎麦屋のカレーではない。四ツ谷にあるフレンチの名店「北島亭」とのコラボレーションによって生まれた、A5ランクの和牛(ああ、同胞よ!)と大量の野菜、そしてフォンドボーを駆使した、極めて高尚な欧風カレーなのである。香川の純朴な魂と、フランスの洗練された技法が、神田という雑多な街で邂逅する。これを歴史的和解と呼ばずして何と呼ぶか。

マロン君はメニューを見ながら

マロン君

バターを乗せるか否か迷いますねぇ

というハムレット的な問いに苦悩している。吾輩は迷わない。カロリーとは旨味の単位であり、恐れるに足らぬ。

虚無と存在について静かに考察を深めていると、吾輩の目の前に運ばれてきたのは、目的のバターのカレーうどん¥900であった。

ついに来た。着丼ドーンだ!!

器の中には、黄金色の海ならぬ、濃厚な褐色のマグマが渦巻いている。その中央には四角いバターが鎮座し、熱によって徐々にその角を失い、トロリと溶け出し始めている。エントロピーの増大を目視する瞬間だ。

カレーはドロリと重厚で、人生の諦念のように絡みつく。だが、細い麺はかえってその粘度に耐え、自己の存在意義を主張しているかのようだ。 まずは麺を一本、手繰り寄せる(蹄では無理なので、マロン君に箸を使わせるイメージで脳内補完する)。 ……ふむ。驚くべき食感だ。見た目は儚げな細麺だが、噛み締めると内側から押し返してくる弾力がある。これが「ノビ」というやつか。 そしてカレーだ。スパイシーさの中に、野菜の甘みと肉のコクが幾層にも重なっている。フレンチの技法「フォンドボー」が効いているのか、うどん屋のカレーというよりは、高級なシチューに麺が迷い込んだような錯覚を覚える。そこにバターが溶け込むことで、暴力的なまでのコクが加わる。これはもはや、味覚への侵略だ。

しかし、この店の真骨頂はここからだ。 「そのまま食べ進め、途中から別添えの『出汁』を注いでスープ状にして召し上がれ」 店内の指南書にはそうある。 さらにこの店は、途中出汁を入れて味変が出来るのが良いという。定まった運命に、新しい解釈という名の出汁を加えて、その後の展開を自由にせよというメタファーに違いない。

吾輩は厳かに、黄金色の「いりこ出汁」を濃厚なカレーの海へと注ぎ込んだ。 するとどうだ。ドロリとした重厚なフレンチの世界が、一瞬にして「和」の静寂へと引き戻される。濃厚さが緩和され、いりこの香りが鼻腔をくすぐる。先ほどまでは「攻め」の味だったものが、優しく胃の腑に落ちる「癒やし」の味へと変貌を遂げたのだ。 一つの器の中で、西洋と東洋が争うことなく融合し、そして最後は飲み干される。これぞ弁証法的アウフヘーベン。うどん一杯でヘーゲル哲学を理解できるとは、なんと安上がりな講義だろうか。

隣のマロン君がしきりに首を振っている。

マロン君

いやー実に旨いですよ、このうどんは

と彼は口にしたのだが、吾輩の脳内変換は相変わらずバグっていて、こう聞こえた。

マロン君

これはうまいうどんだ。当たり前だと思えた景色の転換点だ。まるで明治維新をうどんで体感しているようだ

マロン君、君もそう思うか。 濃厚なカレーという黒船が来航し、そこへ伝統的な出汁という尊皇攘夷派が合流し、結果として文明開化の味がする。バターという異文化も、最初こそ抵抗があるものの、溶けてしまえば見事な調和を生むのだ。

吾輩もこの細くも剛毅な麺の魅力には抗えない。この味覚体験は、これはリピは確実だ、と結論せざるを得ない。人生のルーティンに、また一つコレクションが加わっただけのことだ。

完食。 丼の底には、一滴の汁も残っていない。 「ごちそうさまでした」とマロン君が手を合わせる。吾輩も心の中で、同胞(和牛)と、小麦と、いりこたちに感謝の祈りを捧げる。 店を出ると、神田の風は少しだけ優しくなっていた。腹が満たされれば、世界は平和に見える。我々家畜も人間も、所詮はタンパク質を追い求める哀しき存在だが、この「一福」がある限り、その悲劇もまた喜劇として楽しめるのかもしれない。

投稿者プロフィール

モウモウ
モウモウ大富豪になっても結局食と旅
吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。

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