吾輩は牛である。Tomoさんを伴い、キャナルCafeへ向かう道すがら、神楽坂の坂を下った。この地の小路は夜になると、軒先に灯る赤提灯の光が薄い靄となり、明治時代の東京の幽霊が歩いているような、過去への回廊を想起させるのは、どうやら吾輩だけのようであった。Tomoさんは既にスマホという現代の羅針盤に心を奪われている。
我々の目的地は「神楽坂五十番 総本店」。この店は、昭和32年(1957年)にこの地で産声を上げた食の老舗である。

もっとも、現在の総本店は、創業の魂を受け継ぎつつ、2017年12月に創業の跡地に改めて降臨したという、複雑な系譜を持つ肉の権威がここに集約された場所だ。肉まん一つで一時代を築く人類の食の単純性への執着には、深いアイロニーを感じざるを得ない。熟練の職人が国産豚肉とキャベツを用い、巨大な塊の中に完璧な調和を閉じ込めるのが、この店のウリである。
店頭で、Tomoさんは躊躇なく注文した。吾輩は白い皮に包まれた看板商品の豚まん(¥450)と、もう一つは、何だか忘れたがとにかく黒い豚まんである。どうせなら、記憶に残らないほどの漆黒の快楽も味わってみようという、人間の飽くなき探求心の現れだろう。
店員から紙袋に包まれた、熱源の塊が手渡された。丼ではないが、その重量感はまさにそれだ。 心の中で叫ぶ。
よし、決めた。君に決めたぞ。しかも2つだ


Tomoさんは熱がるのを我慢しながら、皮を割って具材を覗き込み、目を輝かせた。
tomoさん「わあ、この肉汁の泉!国産豚肉とキャベツのハーモニーが、もう口の中でベートーヴェンの『運命』を奏でてるわ!皮がふわふわで、餡がジューシーで、これぞキング・オブ・豚まんね!
彼女は感嘆の言葉を並べるが、吾輩は静かに考察する。この白い皮は、純粋な小麦粉の無垢な抱擁であり、その内部から滴り落ちる肉汁こそ、豚の生命の精髄、すなわち資本主義社会における最も効率的なエネルギー源ではないか。黒い豚まんは、おそらく闇に潜む食欲を具現化したものであろう。
この巨大な塊が、神楽坂という歴史と高級が同居する街で、立ち食いという最も原始的な方法で消費される。この一握りの熱い幸福こそが、現代人の疲れた胃袋と、満たされない心の隙間を埋める、最も安価で、最も劇的な代償行為のメタファーである。吾輩は、その深い意味を噛み締めながら、ただ静かに、牛として豚を食らうという、この世界における滑稽な自己矛盾を受け入れるのであった。
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- 大富豪になっても結局食と旅
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吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。
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