
毎日なにかモチベがないと単調不変、明鏡止水の毎日にあきあきあきてくるので、モチベは大切だ。そしてラーメンも大切だ。
人間が「モチベーション」と呼ぶものは、吾輩たち牛にとっての「新鮮な牧草地」の概念に近い。つまり、日常の飽くなき反復から脱するための、具体的な希望である。そして、この希望の象徴こそが、この時代における「ラーメン」という名の小さな革命なのだ。哲学書を読むよりも、一杯のラーメンを求める方が、人間は遥かに真実に近い場所にたどり着けるのかもしれない。
そしてその日の目的地は和渦は港南口ではない。品川駅の華やかな新幹線側ではなく、いぶし銀の情緒が残る旧東海道沿いの北品川。
という訳で北品川へ到着。お店は裏路地みたいなちょっとわかりにくいところにあるのだが、北品川だからすぐに発見。
「裏路地」という隠喩は、高級な品川の顔の裏側、つまりこの都市の本当の日常が息づく場所を指す。吾輩は牛の視点から、この街の二重構造を理解している。和渦は、そのような裏通りに、自らを「中華そば」という古風な看板で隠しているのだ。それは、真の価値は隠されているべきだという、禅にも似たアイロニーである。
18時20分位。でも3組も待っていた。うーん計算が外れた。思ったより混んでた。
同行のマロン君は、生真面目な会計士である。彼の言う「計算」とは、平日の夕方の訪問時刻と、顧客の回転率を組み合わせた、合理的な待ち時間の予測値のことだろう。だが、彼は忘れている。ラーメンの旨さとは、いかなる経済学的な予測をも裏切る、非合理的な熱狂なのだということを。この「3組の待ち」は、この店の非合理的な引力の強さを証明している。
吾輩は急な階段で変な恰好のままじっと待った。
牛という四足歩行の肉体にとって、日本の狭く急な階段は拷問である。吾輩は、前脚と後ろ脚のバランスを保ちながら、なんとか列の定位置をキープした。人間たちは、この待ち時間を「期待」という感情で埋めるが、吾輩はただひたすらに、**「行列という名の集団信仰」**を観察する。皆、同じ聖杯(ラーメン)を求めているが、その信仰がもたらす肉体的な苦痛(待ち時間)は甘受する。なんと奇妙で、いじらしい種族であろうか。
**ようやく入店。**食券機の前で、吾輩の思索は立ち止まる。
醤油にするか塩にするか迷う。昔なら醤油一択だったのだが、雑色にある琥珀の塩ラーメンを食べてから塩ラーメンの概念がコペルニクス的大転換して、塩もチョイスの対象になったのだから嬉しいような、迷うような複雑な気分だった。
この「コペルニクス的大転換」とは、単に味覚の嗜好が変わったことを意味しない。それは、価値観の絶対性からの解放という哲学的な出来事である。
この現象の背景には、この「和渦」というグループが持つ異色のキャリアが関係している。店主の高橋宏幸氏は、元々濃厚な豚骨ラーメンの修行を積んだ後、清湯(ちんたん)系の名店に出会い、その透明で洗練されたスープに衝撃を受け、自らも清湯へと方向転換したという。これが、まさに**「ラーメン哲学の転回」**である。
「和渦 TOKYO」は、2016年に大井町で創業し、2019年に北品川に移転した。そのウリは、フレンチの技法にも通じるような、素材への徹底的なこだわりにある。スープは山水地鶏や岩中豚などの厳選素材を使い、醤油ダレは5種の醤油を、塩ダレは貝と3種の塩をブレンドする。
マロン君は言う。「吾輩。この店は『清湯』という抽象概念を、具体的な食材のブレンドで再構築している。以前の君が愛した醤油は、いわばプトレマイオス的な『地の理』だった。だが、琥珀の塩は、地球が動くという『天の理』を示したのだ。選択の自由とは、常にこの迷いを伴う。」
しかし醤油ラーメン¥900を選択。
吾輩は、最終的に慣れ親しんだ絶対的価値(醤油)に回帰した。900円という価格は、この**「割烹級の技術」が注ぎ込まれた一杯にしては、あまりにも良心的である。この価格設定こそが、「大衆」という名の旗を守り続ける、店側の無言の矜持**であろう。
そして、ついに。 厨房の奥から「お待ち!」という声と共に、一杯の丼が吾輩の目の前に差し出される。
やがて、吾輩の目の前にそれは運ばれてきた。着丼ドーンだ!!

湯気はまるで、昇華していく人間の煩悩のように立ち上る。清らかな琥珀色の液体(スープ)は、すべてを包み込む宇宙の理そのものだ。
スープを一口 ・・・・・う うまいすぎるぞ!なんだこれ?
吾輩は思わず変な声を出した。
北品川だからというわけではないが、完全に侮っていた。いや、うまい!これは参ったうまさだ。堂々と人にお勧めのラーメン店としてリコメンドできること請け合いだ。

「北品川だから」という言葉には、駅前の喧騒を避けた隠れた宝石への先入観と、それを裏切られた喜びが混在している。この旨さは、人間の舌が持つ本能的な合理性を超えた、絶対的な美である。洗練され、研ぎ澄まされ、それでいて深みがある。
スープも全部飲み干して余韻に浸っていたのだが、今度塩ラーメンも絶対に試そう。そう思った矢先に、50代くらいの背の高いおっちゃんが「すみません、醤油と塩の2個下さい」と聞こえてきた。
マロン君が目を丸くしている。その50代の男は、吾輩の心に新たな問いを投げかけた。
え?一人で2杯も? いや、気持ちはわからんでもないが、食べれるのか?その前に健康にはよくないからな。
ここに、この店の味の哲学がもたらす、究極のアイロニーがある。一杯でコペルニクス的大転換を引き起こすほどの旨さが、人間を「醤油と塩」という二つの世界を同時に征服したいという、飽くなき欲望の業へと駆り立てるのだ。
マロン君が小声で解説する。「この男は、選択の自由が生む苦悩から逃げたのだ。どちらかを選び後悔するよりも、両方を摂取し、自己を満足させる。健康とは、この欲望の前では無力な、現代人の小さな倫理観に過ぎない。」
吾輩は、完飲した丼を前に静かに結論づける。 「中華そば 和渦 TOKYO」は、ラーメンという媒体を通じて、人間社会の矛盾と欲望を映し出す鏡である。一杯で人生観を変えさせ、二杯で倫理観を試す。
この店が提供するのは、単なる食事ではない。それは、単調不変な日常からの脱出を求める、疲弊した現代人への、あまりにも甘美で危険な哲学なのであった。 吾輩は、塩ラーメンという未踏の領域を意識しつつ、その日のところは静かに、店を後にした。
投稿者プロフィール

- 大富豪になっても結局食と旅
-
吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。
もっと詳細が知りたいもの好きなあなたはプロフィール欄の記事を読んで欲しい



