普段滅多に降りることのない本郷三丁目駅。知識の亡霊が彷徨う文京区の片隅で、吾輩は同僚のマロン君を伴った。彼はグルメ魂を持つ、心から美味への探求心を求める、現代の修験者である。彼は食を通じて自己と世界の真理を悟ろうとしているのだろう。だが、その真理の先にあるのが、我々牛族の犠牲であることには、あえて目をつぶっている節がある。
今日、我々が目指すのは「ファイヤーハウス(FIRE HOUSE)」。

この名を耳にして、背筋が伸びないハンバーガー好きはモグリと言っていい。 「ファイヤーハウス」という屋号は「消防署」の意味だが、オーナーは「炎の家」というより強い炎を燃やす意図を込めたという。1996年の創業以来、この店は日本におけるグルメバーガーという高尚な欺瞞を確立した先駆者だ。
ここで少し、歴史という名の反芻しておこう。 創業者は吉田敦氏。彼がこの地で産声を上げさせたこの店こそが、今の日本における高級ハンバーガーブームの「震源地」である。多くの名店の店主がここから巣立っていったことから、業界では「ハンバーガー界の常盤荘」や「松下村塾」などと崇められているらしい。単なるファストフードだったハンバーガーを、フルサービスのレストラン料理へと昇華させた功績は計り知れない。
この店の最大の特徴、つまりウリは、肉汁溢れるパティと、日本の米食に合うよう開発された酒種バンズの完璧な調和にある。 そう、天然酵母の一種である「酒種」を使用しているのだ。これにより、バンズは単なる小麦の焼成物ではなく、ほのかな甘みと独特の香りを纏い、日本人のDNAに刻まれた「米への郷愁」を刺激する。アメリカンな見た目をしておきながら、その魂は実に日本的(ドメスティック)なのだ。 店内は予想通り、古材を使用したアメリカンナイズドされたしゃれた内装で、異文化への憧憬という名の浅薄な拝金主義が満ちていた。壁に飾られた消防署グッズやヴィンテージのポスターは、ここが東京であることを忘れさせようとする舞台装置である。
マロン君は、グルメの修験者にもかかわらず、敢えて基本中の基本たる普通のハンバーガー(¥1617)をオーダーした。
マロン君基本を知らずして応用は語れませんから
と彼は言うが、この高貴な価格設定こそ、この肉塊が単なるジャンクフードではない、贖罪の供物であることを示唆している。吾輩としては、名物である「モッツァレラマッシュルームバーガー」で、キノコとチーズの官能的な抱擁を見せつけてやりたかったが、今日は彼の修行に付き合うとしよう。
厨房からは、パティが鉄板で焼かれる音が聞こえる。あれは、かつての同胞が最後に奏でる鎮魂歌(レクイエム)であり、食欲という怪物を呼び覚ますファンファーレでもある。
待つこと数分。 着丼ドーンだ!!


白い皿の上には、見事な高さ(ハイト)を誇る塔がそびえ立っている。 特筆すべきは、芸術的に折り畳まれたレタスだ。まるでオートクチュールのドレスのように美しく波打ち、その上にトマト、そしてパティが鎮座している。このレタスの食感こそが、ファイヤーハウスの真骨頂とも言える。
マロン君は目を閉じ、肉塊を両手で押しつぶすという神聖な儀式を始めた。 バーガー袋(ペーパー)に入れ、少し圧力をかけることで、具材同士を馴染ませ、肉汁を全体に行き渡らせるのだ。



これ見てください。この肉の厚み!そしてこのバンズの甘い香り…完璧な円形に収束された宇宙の縮図です!この調和こそが真の美味ですよ!
彼は感嘆の言葉を並べる。一口かじりつくと、バリッというレタスの音が響き、続いて粗挽きのパティから肉の旨味が奔流となって押し寄せる。塩胡椒だけのシンプルな味付けが、肉本来のポテンシャルを極限まで引き出している。そこに酒種バンズの優しい甘みが寄り添う。
吾輩は静かに考察する。この肉と野菜とパンの三位一体は、確かに資本主義が生み出した効率的な幸福のアイコンだ。暴力的なまでの肉の質量を、野菜の瑞々しさとバンズの包容力で中和する。これは一つの平和条約である。
しかし、吾輩の心は既にチーズの理想郷へと飛翔している。 マロン君、君のバーガーは確かに美しい。だが、そこには「とろりとした混沌」が欠けている。なぜなら、たとえ今この肉塊にチーズが欠けていようとも、あの金色に溶けた脂肪の膜こそが、あらゆる不協和音を包み込む慈悲のメタファーであり、チーズは世界を救うと吾輩は本気で考えているからだ。
次回は必ず、チーズを溺れるほどトッピングしよう。そう誓いながら、吾輩はマロン君が口の端につけたソースを拭う様を、冷ややかに、しかし少しだけ羨ましく見つめるのであった。
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