【代々木・曽さんの店】肉汁という名の暴力を食らう。台湾生まれの「でっかい餃子」が教える、厚い皮と資本主義の真実。

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吾輩はこの世のすべての食を「存在」と「非存在」に分けて思索している。今日の同伴者は、相変わらず金欠で安くて、うまい店を要望するという、経済的な煩悩の権化、友人のフィリップである。彼のわがままボディは、常に最小のコストで最大の満足を求めようとする。故に今回、安価なる真理を探求すべく、我々は代々木の「でっかい餃子 曽さんの店」を選定した。

フィリップ

今日もやすくてうまい、の一択だ。頼むぞ

代々木駅西口。予備校生とサラリーマンが交差するこの街は、希望と疲労が入り混じった独特の空気を醸し出している。その駅の目の前に、黄色い看板に赤字で「でっかい餃子」と書かれた、強烈な自己主張をする店がある。これこそが、台湾出身の曽(そ)さんが作り上げた餃子の聖地だ。

店の前で、フィリップが「金が高いとか安いとか」と、市場の絶対的な記号について無益な葛藤を繰り返している。彼の財布の紐は、パンドラの箱よりも堅い。しかし、店内の不可視の領域から「どうぞー」という、抗いがたい運命の声が響き、我々の入店を決めた。いかにも中国人と言う人に案内され、吾輩たちは二階へ。 狭い階段を上がると、そこには飾り気のない空間が広がっている。既に先客は3組。彼らは言葉少なく、黙々と箸を動かしている。それは食事というよりは、静かに食という業と向き合っている修行僧の姿に重なる。

さて、ここで少しこの店を反芻しておこう。 「曽さんの店」の代名詞といえば、その屋号の通り「でっかい餃子」である。しかし、ただ大きいだけではない。ここの餃子の真骨頂は「皮」にある。オーナーである曽さんがこだわり抜いたのは、本場台湾の製法に基づいた、手作りの厚い皮だ。 一般的な日本の餃子が薄皮でパリッとした食感を良しとするなら、ここの餃子は「もちもち」とした弾力を楽しむ、いわば主食としての餃子である。注文が入ってから皮を伸ばし、餡を包んで焼き上げるという噂もあるほど、鮮度とライブ感に満ちている。かつて「生きてる餃子」というキャッチコピーで名を馳せた系列の遺伝子は、この代々木の地でも確実に息づいているのだ。

吾輩がこの店の真髄として選択したのは、曽さんの餃子¥800とライスという、経済的なアイロニーを体現した破格のコンボだ。 フィリップは「800円……牛丼なら二杯食える」などとブツブツ言っていたが、吾輩は無視した。価格とは単なる数字ではない。その背後にある労働と熱量への対価だ。その安価さは、この世の価値基準の崩壊、あるいは革命的な転換点を示唆している。

厨房の方から、激しい破裂音が聞こえる。油と水が熱せられた鉄板の上で格闘している音だ。あれは調理ではない、元素の闘争だ。

そして、その巨大な物体が眼前に現れた。

着丼ドーンだ!!

皿の上には、通常の餃子の二倍、いや三倍はあろうかという巨大な物体が6つ、鎮座している。焼き目は黄金色を通り越して、強烈な焦げ茶色。まさに剛健。

楕円形の大振りな餃子。一口で噛み切るには人生の覚悟が必要だ。 フィリップがおもむろに一つ、箸で持ち上げる。重量感が手首に伝わるのが見て取れる。彼はそれをタレにつけ、大きく口を開けて齧り付いた。

「あぐっ……熱ッ!!」 フィリップが悶絶する。愚かな男だ。この餃子が「飛び道具」であることを知らないとは。

吾輩もまた、慎重に対峙する(脳内で)。 噛みしめると、その皮が厚くてプリプリのうまい餃子だ。 驚くべきは、その皮の弾力だ。お餅か、あるいは讃岐うどんかというほどのコシがある。この皮のもっちり感は、時間と労力の積み重ねが生む哲学的な粘り強さのメタファー。薄っぺらい現代社会へのアンチテーゼのようにも思える。

そして、それを破れば、一気に溢れ出す肉汁は、抑圧された感情の解放、あるいは真理の流出である。 「肉汁」という生易しいものではない。これはスープだ。小籠包をそのまま巨大化し、焼いたものだと認識した方が正しい。熱々のスープが口内を蹂躙し、豚肉とニラの強烈な旨味が脳髄を直撃する。ニンニクは控えめだが、下味がしっかりとついており、タレなど不要なほどの完成度だ。

フィリップは、金欠という煩悩を忘れ、一心不乱に餃子を平らげている。 「熱い、でもうまい、いや熱い」と壊れたラジオのように繰り返しながら、白飯を口にかき込んでいる。濃厚な脂と炭水化物のマリアージュ。彼の沈黙こそが最高の賛辞だ。 先ほどまでの金銭への執着はどこへやら。彼の瞳には今、目の前の巨大な餃子をどう攻略するかという、生存本能しか宿っていない。

吾輩は思う。この餃子は、我々草食動物には決して到達できない境地にある。豚という他者の命を、小麦という大地の恵みで包み込み、火という文明の利器で焼き上げる。この野蛮で洗練された行為こそ、人間が人間たる所以なのだろう。

6つの巨大な塊が、胃袋へと消えていく。満腹感というよりは、何か重たい物質で腹が満たされたような、物理的な充足感がある。 フィリップが最後の一個を飲み込み、満足げに息を吐いた。「800円……安かったかもしれん」 現金な奴だ。しかし、その通りだ。この満足感は、薄利多売のチェーン店では決して得られない「魂の重量」である。

この体験は、吾輩の「安価な哲学コレクション」において、一等星級の輝きを放っている。これはリピ確定だろう。 店を出ると、代々木の風が少し涼しく感じられた。胃袋の熱が、体を内側から温めている。 「次は台湾ラーメンもいけるな」とフィリップが言う。 やれやれ、人間の欲望には底がない。だが、それもまた一興。吾輩はゆっくりと反芻しながら、次なる食の真理を求めて歩き出すのであった。

投稿者プロフィール

モウモウ
モウモウ大富豪になっても結局食と旅
吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。

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