この度、吾輩は中央本線という鉄の巨獣に乗り、八王子まで出向き、そこから特急かいじで一路山梨は甲府へ赴いた。

車窓を流れる景色は、コンクリートのジャングルから徐々に山々の稜線へと変わり、文明のグラデーションを感じさせる。同行者はパヤである。彼もまた美味しいものを日々追い求めはいるのだが、どこに行けばいいのかわからぬ、永遠に答えを見つけられないグルメの迷い子なのだ。
モウモウ寒い季節には定期的に甲府の小作のほうとう「小作」が食べたくなるのだよ



うん、いいね。ほうとう食べたことないから行ってみたいかも
彼はスマホの検索画面を親指でスクロールし続け、まるで賽の河原で石を積むような虚無作業を繰り返している。文明の利器を駆使し、これから向かうのは古代の野戦食を食らいに行くという場所だ。現代人のこの倒錯した巡礼は何と滑稽であろうか。吾輩のように牧草を食んでいれば事足りるものを、人間とはつくづく「食」に物語を求めたがる生き物である。


甲府駅に降り立つと、そこには甲斐の虎、武田信玄公の巨大な銅像が鎮座していた。


駅前の広場を見下ろすその姿は、威厳に満ちている。かつて戦国最強と謳われた騎馬軍団を率いた英雄も、今や観光客の自撮りの背景となり、鳩の休憩所となっている。彼の掲げた「風林火山」の旗印――疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し。現代においてそれは、



食べるスピードは風の如く、行列には林の如く静かに並び、SNSへの投稿は火の如く拡散し、食後の体重は山の如く動かない
という、悲しきメタファーへと変貌を遂げているのかもしれない。吾輩は信玄公の眼差しに、現代社会への無言の嘆きを感じ取った。
さて、我々の目的地は、駅の南口を出てすぐの場所にある「甲州ほうとう 小作 甲府駅前店」である。


巨大な水車と、古民家風の重厚な店構え。そこだけ時空が歪んでいるかのような、あざといほどの「昭和」あるいは「戦国」演出だ。中に入れば、広い土間に畳敷きの座敷。観光客たちは靴を脱ぎ、開放感と郷愁という名の調味料ですでに腹を空かせている。
この店「小作」は、武田信玄の時代から甲州の魂を育んできたほうとうという郷土の盾を掲げる名店だ。 ここで少し、歴史の講義をしておこう。ほうとうの起源は、平安時代の**「饂飩(はくたく)」にまで遡るという。これは小麦粉を練って平たくしたもので、貴族の儀式食であったらしい。それが時を経て、戦国の世に信玄公が野戦における兵糧として用いたことで、甲斐の国に定着したとされる。生麺をそのまま野菜と共に味噌で煮込むこの料理は、手間がかからず栄養価が高い。まさに山梨の歴史そのものが味噌で煮込まれた文化的化石**であり、効率化の極致たる「ファストフード」の元祖とも言えるだろう。
しかし、現代の「小作」は単なる歴史博物館ではない。 店のウリは、そのメニューの野生的な多様性だ。定番の「かぼちゃほうとう」から、現代社会の飽食の極致を示すかのように「熊肉ほうとう」や「猪肉ほうとう」、さらには「すっぽんほうとう」までをも鉄鍋に閉じ込めてしまう。 熊や猪。かつて人間が命がけで狩った獣たちが、今やメニューの一行として、数千円の対価で消費される。これこそ資本主義による野生の飼い慣らしだ。吾輩たち家畜化された牛族からすれば、彼ら野生の同胞が鍋の中で煮込まれる姿には、ある種のシンパシーと、管理社会への皮肉を感じずにはいられない。
実は吾輩が小作にくるのは2回目なのだが、寒い季節になると無性にほうとうが食べたくなるのはなぜなのだろうか。 外は盆地特有の冷たい風が吹いている。体温を奪われると、生物は本能的に熱と粘度を求める。それはきっと、煮詰まってトロみを増した味噌が、母親の胎内のような温かさと、人間の原始的な安寧への渇望を呼び覚ますからであろう。さらさらとしたスープでは駄目なのだ。あの、喉に絡みつくような重たい液体でなければ、心の隙間は埋まらない。


メニュー表を広げ、パヤが長考に入っている。



かぼちゃが基本だが、肉も捨てがたい……いや、鴨か? ちゃんこか?
彼の脳内で、食材たちの合戦が始まっているようだ。 我々は二人とも、最終的に「豚肉ほうとう(¥2,000)」を選んだ。 ここで高潔な吾輩は言った。



今回は吾輩のおごりだ、好きなものを食し給え
と。 パヤは迷い子の瞳が一瞬光ったのを吾輩は見逃さない。普段、割り勘という名の平等を重んじる現代社会において、「奢り」という行為は、一種の権力行使であり、同時に慈愛のパフォーマンスでもある。彼は遠慮する素振りを見せつつも、安堵の表情で「じゃあ、遠慮なく」と豚肉を選んだ。現金な男だ。
注文を終え、座敷であぐらをかきながら待つ。周囲を見渡せば、老若男女が鉄鍋と格闘している。湯気で眼鏡を曇らせ、鼻水をすすりながら麺を啜る。なんと平和で、動物的な光景だろう。
そして。
着丼ドーンだ!!


眼前に置かれたのは、一人前とは思えない巨大な鉄鍋である。 グツグツと煮えたぎる鉄鍋は、まるで火山の火口のよう。マグマのようにボコボコと泡立つ味噌スープ。その中から、湯気とともに濃厚な香りが立ち上り、吾輩の鼻腔(牛の嗅覚は鋭いのだ)を強襲する。 幅広の麺とゴロゴロと乱雑に入った野菜。巨大なカボチャ、ジャガイモ、里芋、人参、ゴボウ、椎茸、山菜。そしてそれらを統率する主役、豚肉の脂が、全てを優しく包む味噌に溶け合う。
まずはスープを一口。 ……熱ッ!! 猫舌ならぬ牛舌には過酷な温度だが、それを超えた先に至福がある。 うまい。やはり寒い季節にはほうとうは欠かせないマストなアイテムであることを再認識した。 甲州味噌の塩味とコク、そこに溶け出したカボチャの甘みが加わり、複雑怪奇かつ調和の取れた味がする。野菜の角が取れ、汁と一体化している。これは飲み物ではない、食べるスープだ。


次に麺だ。ほうとうの麺は、うどんとは違う。「打った麺を寝かせず、塩も入れずにそのまま煮込む」のが特徴だ。そのため、汁にとろみがつき、麺自体にも汁が染み込みやすい。 箸で持ち上げると、ずしりと重い。口に運べば、モチモチとした食感と共に、小麦の素朴な香りが広がる。洗練された讃岐うどんのようなコシや喉越しはない。だが、この「野暮ったさ」こそが旨いのだ。完璧に精製された白米ではなく、雑穀を噛みしめるような、大地の味がする。
パヤもハフハフと言いながら、豚肉を頬張っている。



この豚肉の脂が、味噌に溶けて……最高だね。野菜もどれだけでかいんだ
彼はまるで、冬眠前の熊のように貪り食っている。 カボチャの甘みが強烈だ。小作のほうとうは、カボチャが主役と言っても過言ではない。黄金色に崩れたカボチャが、塩気の強い味噌に甘美な救済を与えている。この「甘じょっぱい」無限ループこそ、日本人の味覚中枢をハッキングする最強のアルゴリズムだ。
しかし、吾輩は考える。 この原始的で素朴な美味を求め、わざわざ時間と金をかけて都会から甲府まで旅をする。文明は進歩したというが、結局我々が求めるのは、古き良き時代の味噌と小麦が織りなす力強い安心感なのだ。 AIだ、IoTだ、メタバースだと騒ぎ立てる一方で、我々の魂は数百年変わらず、この鉄鍋の中の混沌とした調和(ハーモニー)に帰結する。この深い文化的後退こそが、最高のユーモアではないか。 未来へ進めば進むほど、過去の味が恋しくなる。それはまるで、宇宙旅行に出かけた飛行士が、チューブ入りの流動食ではなく、母親の握ったおにぎりを夢見るようなものだ。
鉄鍋の底が見える頃には、我々の額には汗が滲み、腹は膨れ上がっていた。 「反芻したい……」と吾輩は本能的に思ったが、人間界のルールではそれはマナー違反だ。第一胃袋に収めたままにしておこう。
店を出ると、冷たい風が心地よく感じる。体内には味噌という名の暖房器具が設置されたようだ。 さて、甲府に来たからには、甘味という名のデザートも忘れてはならない。 駅のビル、セレオ甲府へ向かい、「桔梗屋」のショップへ。


山梨土産の絶対王者、桔梗信玄餅。その派生進化系である「桔梗信玄餅クレープ」や「桔梗信玄餅アイス」が並んでいる。 吾輩たちは「桔梗信玄餅アイス」を購入した。 熱々のほうとうで火照った体に、冷たいアイス。きな粉と黒蜜の和風な甘さが、味噌の塩分で満たされた口内をリセットしていく。 「冷たいのに餅だ……」パヤが呟く。 そう、凍っているのに柔らかい餅。これもまた、食品加工技術という文明の勝利である。古い信玄餅を、新しい技術でアイスにする。ここにもまた、伝統と革新の奇妙な同居がある。
帰路、再び特急かいじ号の座席に身を沈める。 パヤは「もう食えん」と言いながら、即座に睡眠の世界へと旅立った。 窓の外はすでに暗い。鉄の巨獣は、闇を切り裂いて東京へとひた走る。 吾輩は、窓に映る自分の顔(牛)を見つめながら思う。 今日一日、我々は何をしたのか。 移動し、並び、食べ、帰り、寝る。 それは家畜の日常と何ら変わらない。だが、その「食べる」という行為の中に、歴史を噛み締め、季節を感じ、同行者と時間を共有するという「文化」が存在した。 たかがほうとう、されどほうとう。 信玄公が兵糧として考案したそれが、数百年後にこうして平和な牛と迷えるグルメを満足させているのだから、歴史というのは面白い。
「次はどこへ行こうか、パヤ」 寝息を立てる彼に心の中で問いかけながら、吾輩もまた、四つの胃袋を総動員して今日の思い出を消化し始めるのであった。 目覚めれば、そこはまた、コンクリートジャングルの新宿だ。夢のような甲州の時間は、胃袋の中の重みとしてだけ、確かにそこに存在していた。
投稿者プロフィール


- 大富豪になっても結局食と旅
-
吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。
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