【清水港 海岸食堂 バンノウ水産 清水河岸の市店】清水河岸の市でマグロ波状攻撃を食らう旅情:東海道線で辿り着いた孤独な贅沢

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今は昔のことじゃった。吾輩はかつて人生の転換点を迎えたことがあり、その時に1か月ほどブラブラと何もしないという、人類が発明した最も崇高で無意味な行為をしていたことがある。それは、都市という巨大な歯車から自らの一片の肉を外し、摩耗を拒否する、静かな反逆の期間だった。

その記念にじゃないが、思い切って何か記憶にも記録にも残る食事の思い出を作ろうじゃないか!ということに思い当たり色々調べていた。

分厚いステーキ?それは「力」の象徴だ。豪華な海鮮料理?それは「豊穣」と「儚さ」のメタファー。煌びやかな満漢全席?それは「権威」と「過剰」の寓話。

などと候補をあげていて、最終的には豪華な海鮮料理に決定。テッテレー。

清水港 海岸食堂 バンノウ水産に決定。旅情とグルメを兼ねて出かけてみようかと。

旅情という名の「怠惰な抵抗」

ようやく清水駅についた。夢にまで見たマグロの波状攻撃。

かつて静岡県には住んでいたことはあるが、清水エスパルスには行ったことが無かった。そうか、人生とは常に核心を避けて通り、後から遠回りをしてその周辺をなぞる作業なのかもしれんな。

新幹線で静岡までいって、3駅戻れば早いのだが、吾輩は東海道本線で歌川広重に想いを馳せるべく各駅停車の旅にでることにした。**決して新幹線代をケチった訳じゃないぞ。本当だぞ。旅情だからな。**この断固とした自己弁護は、経済的合理性から逃れようとする、現代人の脆弱な抵抗の表れだ。

まぁ時間だけはたんまりあるので、のんびり行くのはいいことだ。今までハードに働き過ぎたのだ。よく体が持ったものだと感心しきりだ。吾輩の体は、労働という名の物理法則に、ただ耐え続けてきた記念碑である。

今更ながら清水駅におりると早速出迎えてくれたのは、ちびまるこちゃんだ。そうか、さくらももことまるこちゃんの舞台であったか。日常の細部を描き出し、その愛すべき「凡庸さ」を肯定する彼女の作品は、吾輩の壮大な哲学的考察よりも、遥かに多くの人類を救済しているのかもしれない。

吾輩は小田原から東海道の各駅にのって熱海で乗り換えはるばるやってきたので、お尻が将棋盤のようにガチガチになって痛いのなんので、清水につくことには頭がホゲッていたのだ。思考停止という名の「究極の休息」。これもまた、転換期に必要なプロセスであろう。

駅をおりると広場になっていて、海からの強烈な風に飛ばされそうになりながら国道沿いを歩いてお店にむかった。この海風は、都市の排気ガスで汚れた魂を浄化する、自然という名の「暴力的な優しさ」だ。

清水港の真実と、一匹の牛の渇望

狙いは「大漁まぐろ膳」¥3150だ。くぉーーー早くマグロに会いたいのだ。

バンノウ水産へ、いざ!港町の風情漂う海道沿いをあるくこと約10分で店に着く。この店は、清水魚市場の「河岸の市」内、海に面した絶好の位置にある。この清水港は、世界中の海で漁獲された冷凍マグロの水揚げ量が日本一を誇る、マグロの「集積地」であり「流通の門」なのだ。

そしてバンノウ水産自体が、マグロの「一船買い問屋」の系列であり、その強みを生かして大トロ、中トロ、希少部位まで、マグロのすべてを消費者に提供する、いわば「マグロの王宮」である。

平日の午後ということもあり、お客は私一人であった。この静寂は、海鮮市場の喧騒と、マグロ流通の壮大なスケールに対する、一瞬の「間(ま)」だ。吾輩は見るともなしに窓際の席に座り、海鳴りの音をききながら景色を眺めて着丼を待った。眼下に広がる海は、吾輩がこれから食すマグロたちが、かつて泳いでいたかもしれない「無限のフィールド」を象徴している。

夢にまで見たマグロの波状攻撃。

そしてキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!ー

思わず顔文字を使うくらい豪華な着丼に心中小躍りだ。

大トロ、中トロ、マグロ、鉄火、ネギトロとこれでもか!っちゅうくらいマグロ祭りになっている。それはまるで、遠洋漁業という名の過酷な「マグロの叙事詩」の最終章を、この一皿で凝縮したかのようだ。

正直これを目の前にして、将棋盤になってまでも来て良かったーの感想だ。この瞬間の充足感は、旅の苦痛という名の「犠牲」を、瞬時に無価値化する。

さっそく醤油にジャブジャブと浸したマグロを、熱々のごはんにヒタヒタしながらムシャムシャと平らげていく恍惚感の時間がひたすら流れた。

うまい。うますぎるぞ。今日のマグロ祭りは最高さ。トロの脂が舌の上で溶け出し、その濃厚な「快楽の化学物質」が、脳裏に蓄積した1か月の疲労という名の「借金」を一瞬でチャラにしていく。

フト、清水のマグロの漁獲高って多いのだろうか?などといつもの好奇心が、マグロのヒタヒタと共に頭脳を巡る中、モシャモシャマグロを次々に頬張っていく。人間は、目の前の純粋な快楽と、その快楽を支える構造的真実(漁獲量)を同時に探求する、矛盾に満ちた生き物である。

一体どれくらいの恍惚の時間が流れたのだろうか。マグロ海鮮定食コンプだ。体感的にはおおよそ普段1年の吾輩のマグロ摂取量を十分凌駕するにふさわしい日となった。

もしかしたら東京にもこれと同じようなマグロ摂取量のお店はあるのかもしれないが、清水まできたことに何かしらの意味があるのではないかと思った。**いや思うようにした。**この「意味の捏造」こそが、すべての旅の終着点なのだ。

とにかく小旅、まるこちゃん、海風、マグロ海鮮定食と充実した1日の日が暮れる。吾輩が行ったときには確かまだ作者のさくらももこ先生はご存命であったと記憶していた。いた。きっと天国でも楽しい漫画を描いて周囲を楽しませていることであろう。

いつかまた清水に再臨してマグロを食べに来れたらいいなと思う。その時にはまた人生の転換点のときにでも訪れることにしようかなと、たった今思いついたのだった。

人生とは、マグロという名の「絶対的な豊穣」を求めて、時折、遠回りをする旅なのかもしれない。

投稿者プロフィール

モウモウ
モウモウ大富豪になっても結局食と旅
吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。

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