映画『ONE CREATURE』を哲学する吾輩が往く

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4年に一度のワールドカップは終わった。今さらながら日本代表の映画を紐解いてみた。えっ、今更?ではないのだ。今だからわかることもあると思って、あえての所業であるのだ。

人間という生き物は、集団でひとつの球体を追いかける行為に、国家や種の誇りを投影しようとする。特に「サッカー日本代表」と呼ばれる青き群集は、その最たるものだ。

吾輩がこの度、重い蹄(ひづめ)を引きずって劇場へ向かったのは、彼らの歩みを記録したドキュメンタリー映画『ONE CREATURE』と対峙するためであった。

場内が暗転し、プロジェクターの光が漆黒の空間を穿つ。その瞬間、吾輩の脳内にあの大音声が響き渡った。

スクリーンに踊り出たのは、前回のカタール大会終了直後から、2026年4月のイングランド戦に至るまでの濃密なクロニクル(年代記)であった。緊張感漂う試合の攻防はもちろん、一般の人間からは遮断されたキャンプ地の空気、汗と焦燥が充満するロッカールームの密室映像。さらには森保監督をはじめ、上田、遠藤、堂安、三笘といった主要選手たち、裏で支えるコーチ、スタッフ、果ては日本サッカー協会(JFA)の重鎮たちに至るまで、生々しいインタビューの言葉が幾重にも重ねられていく。

前回のカタール大会において、彼らは「ベスト8」という未達の壁に打ちのめされた。しかし、本作が描き出すのは、その敗北の灰から立ち上がった彼らが、いかにして個の集合体を超えた「ONE CREATURE(ひとつの生きもの)」へと変貌を遂げていったかという、壮大な進化のプロセスである。かつては慎ましい謙虚さを美徳としていた彼らが、いまや堂々と「ワールドカップ優勝」という狂気にも似た高みを公言するまでに至った。その成長の真理が、映像の端々から立ち上ってくる。

吾輩が特に胃袋を揺さぶられたのは、監督、コーチ、選手たちがまさに「三位一体」となって互いを深くリスペクトし合う姿だ。ピッチ上で結果を残しつつ、インタビューの端々で吐露される「代表」という記号に対するあまりにも純粋で熱い想い。人間という種族が、これほどまでに気高く、ひとつの目標へとシンクロできるものかと、吾輩は静かな感動を覚えずにはいられなかった。

さらに、この4年間に及ぶ映像の層の中には、今回の最終的な代表孔から漏れてしまった、選ばれざる者たちの姿も色濃く刻まれていた。皮肉にも彼らの流した汗や苦悩、ピッチを去る背中、そのすべての犠牲と葛藤こそが、現在の代表を支える揺るぎない礎となっているのは疑いようもない事実だ。彼らがこれから歩むそれぞれの未来にも、吾輩は密かな期待を抱かずにはいられなかった。

現代という時代は、情報の過剰摂取社会である。いまやYouTubeやSNSを開けば、代表選手たちの日常や裏側、解説者たちの緻密な戦術論が、毎日怒涛の勢いで垂れ流されている。そうした情報過多の時代において、映画という特別な媒体でありながら、本作で提示された切り口には「目新しさ」が少しばかり欠けていたと言わざるを得ないのだ。消費され尽くした日常の延長線上をなぞるだけでは、知的な飢えを満たすには物足りない。

もし吾輩が監督であれば、前回のカタール大会における生々しい反省の解剖はもちろんのこと、日本サッカーが紡いできた血の歴史や系譜、その文脈(コンテクスト)を巧みに交錯させただろう。点と点を歴史という太い線で結びつけるような多層構造があってこそ、スクリーンの中に真の深みが生まれたのではないか……そんな贅沢な思索が、脳裏を掠めてしまったのだ。

とはいえ、ひとつの巨大な「生きもの」として結実し、世界の頂を見据える彼らの咆哮は、間違いなく観る者の魂を揺さぶる。

劇場を出た吾輩は、夜風に鼻先を晒しながら思った。不完全で、情報に踊らされ、それでも高みを目指して走り続ける人間という生き物は、やはりどこまでも興味深く、そして愛おしい存在であると。

投稿者プロフィール

モウモウ
モウモウ大富豪になっても結局食と旅
吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。

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