
吾輩は牛である。名前はモウモウ。稀代の食通だ
人間というものは、時として奇妙な衝動に駆られるものである。主人が上野動物園より帰る途中、突如として「カレーが食いたい」と言い出したのもその一例である。もっとも、動物園にて様々な獣を眺めた後であるから、肉食への欲求が強まるのは自然な成り行きであろう。吾輩としては草を食むことで十分満足であるが、人間の味覚の複雑さには常々感心しているのである。

今日は西欧風のカレーが食べたい
と主人は呟いた。日本人というものは不思議なもので、インド発祥の料理を西欧風にアレンジしたものを、さらに日本風に解釈して食する。この重層的な文化の交流に、吾輩は哲学的な感慨を覚えずにはいられない。主人の携帯電話なる文明の利器が「ガヴィアル」という店を示した。インドのワニを連想させるこの店名は、神保町の一角に佇む店を表しているらしい。
「チーズカレーが食べられるぞ」と主人は目を輝かせた。チーズとは、吾輩の同胞から搾取された乳を加工した食物である。人間の食欲の前には、種の壁すら容易に乗り越えられるのである。吾輩は複雑な心境を抱きつつも、主人の背に乗って神保町へと向かったのであった。
カレー屋に行きたくなった経緯
吾輩の主人が急にカレーを欲したのは、上野動物園の猛獣舎を後にした直後のことである。虎やライオンが肉を貪る様を見た後であるから、肉食への欲求が湧き上がるのは心理学的にも説明がつく現象である。しかし、それにしても西欧風カレーへの欲求は唐突であった。


「あの虎の眼光を見ろ。あれほどの獰猛さで獲物に襲いかかるのだ。人間も獣の本性を持つ以上、時にはスパイシーなカレーで自らの野生を呼び覚ます必要がある」と主人は熱く語った。その論理の飛躍に吾輩は眉をひそめたが、猫のような繊細さを持ち合わせない牛の身では反論もできず、ただ黙って耳を傾けるしかなかった。
「それにしても今日は西欧風カレーが食べたい。日本のカレーも良いが、バターの香りが強く、スパイスの効いた本格的な味わいが恋しくなる時がある」と主人は続けた。上野から神保町までの道程を、主人はカレーについての独白で埋め尽くした。インドカレー、タイカレー、スリランカカレーの違いから、ルーの濃度、スパイスの配合に至るまで、その知識の深さに吾輩は少なからず驚いたのである。
神保町のカレー屋と言えば思い出されるのがプロが通っているのか?と疑いたくなるスマトラカレーの「共栄堂」


あまりにも有名になった欧風カレーの王者「ボンディ」などへ行った記憶が蘇る


ガヴィアルに到着


神保町の古書街を抜けると、一際異彩を放つ店構えが目に入った。


「これが噂のガヴィアルか」と主人は感嘆の声を上げた。ドアを開けるとスパイスの香りが一気に鼻腔を突き抜けた。牛である吾輩にとって、香辛料の匂いは時に不快なものであるが、このときばかりは不思議と心地よく感じられた。


吾輩は内心、「牛を神聖視するインドでこそ、吾輩のような者も敬われるべきだ」と思ったが、そのような考えを口にする術を持たぬ身の悲しさを感じたのである。
午後3時に行ったら誰も居なかった
店に足を踏み入れた瞬間、吾輩と主人は奇妙な事実に気がついた。店内に客が一人もいないのである。午後三時というのは、昼食を終えた後、夕食にはまだ早い中途半端な時間である。人間社会の食事時間の規律正しさに、吾輩は感心せざるを得ない。牛である吾輩にとっては、日が昇っている限り、いつでも草を食むことができるのだから。
「いらっしゃいませ」と店主らしき男性が奥から現れた。彼の額には赤いティラカが施され、顔には疲労の色が見えた。
「只今、開店しております。どうぞご自由にお座りください」
主人は窓際の席を選んだ。そこからは神保町の街並みが一望でき、古書を抱えた学生や、古本屋を巡る愛書家たちの姿が見えた。


「こんな時間に来たから、誰もいないんだな」と主人は少し申し訳なさそうに言った。
吾輩は思った。人間というものは不思議なもので、混雑を避け、静かな環境を好む傾向がある。しかし同時に、人気のない店に入ることには躊躇を覚えるようだ。この矛盾に満ちた生き物を理解するには、牛である吾輩の知性ではまだ足りないのかもしれない。
ジャガバターがオプションでついてくる
主人がメニューを眺めていると、店主が「本日はジャガバターがオプションでついてきますが、いかがですか」と尋ねた。ジャガバターとは、蒸かしたジャガイモにバターを溶かしたものらしい。
「それは素晴らしい!ぜひお願いします」と主人は目を輝かせた。人間というものは、少しの特典や無料のオプションに過剰に喜ぶ性質があるようだ。吾輩に言わせれば、草が少し増えたところで大した違いはないのだが。
「なるほど、西欧風カレーにはジャガバターが合うわけですね」


「そうなんです。西欧の影響を受けたインド北部のカレーには、バターやクリームを使った料理が多いんです。ガヴィアルという名前にちなんで、ガンジス川流域の料理にもインスピレーションを得ているんですよ」(吾輩の妄想)
吾輩は思った。人間は食べ物についての知識をこうして交換し、喜びを分かち合う。それが文化というものなのだろう。草を食む単純な生活を送る吾輩には、その複雑さがときに眩しく映るのである。
チーズカレーを頼んだら、チーズが天井にまで伸びる勢いで凄かった
「チーズカレーをください」と主人が注文した。店主は満面の笑みを浮かべ、「承知しました」と答えた後、意味深な表情を浮かべた。その表情には何か秘密めいたものが隠されているようであった。




しばらくして運ばれてきたカレーを見て、主人も吾輩も息を呑んだ。カレーの上にはたっぷりのモッツァレラチーズが載せられ、それが熱によって溶け、スプーンで掬い上げると天井にまで届くかというほど長く伸びたのである。


「これは凄い!」と主人は子供のように目を丸くした。チーズは白い糸のように伸び、まるでガヴィアルのワニが獲物を捕らえる時の長い鋭い歯のようであった。一口食べた主人の表情は陶酔に満ちていた。


「このチーズの伸び、まるでガヴィアルの顎のように長いでしょう」と主人は言った。自分のせりふに酔っているようにも見えなくはなかった。
主人はチーズの糸を巻き取りながら言った。「これはまさに芸術ですよ。料理というより、パフォーマンスアートに近い」
吾輩はその光景を眺めながら考えた。人間は食べ物に芸術性を求める。単に栄養を摂取するだけでなく、見た目や食感にまで喜びを見出す。それは吾輩のような牛には理解し難い感性であるが、その複雑さがまた人間という生き物の魅力なのかもしれない。
チーズの伸びを楽しみながら、主人はカレーの味にも感嘆の声を上げた。「スパイスが効いているけれど、決して辛すぎない。そして深みのある味わい。これぞ西欧風カレーの真髄ですね」
店主は得意げに頷いた。



当店では1982年の創業時以来継ぎ足しのソースをベースとして、28種類の香辛料をブレンドしています。たくさんの玉ねぎを一日かけてボイルし、そこにショウガ・にんじん・セロリ、香辛料を入れバターで、12時間かけて炒めます。一晩寝かせることで、さらに味に深みが出るんですよ
主人はジャガバターを一口食べ、「これがまた良いアクセントになりますね」と言った。バターの香りが鼻孔をくすぐり、ジャガイモの素朴な甘さがカレーの複雑な味わいを引き立てているようだった。
吾輩は思った。人間の食事とは、単なる栄養摂取の行為を超えて、五感を総動員した体験なのだろう。その複雑さと豊かさは、草を食む牛の身には到底理解し得ないものがある。しかし、主人の幸せそうな表情を見ていると、その喜びの一端は吾輩にも伝わってくるのである。
カレーを平らげた主人は満足げな表情で店を後にした。上野動物園から始まったこの日の冒険は、神保町の一角で天井まで伸びるチーズとともに幕を閉じたのである。吾輩は牛である。人間の食文化の複雑さを垣間見た一日であった。
投稿者プロフィール


- 大富豪になっても結局食と旅
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吾輩は牛である。 名はモウモウである。 なんでも自由ヶ丘というハイカラな街のきらびやかなショーウィンドーの中でもうもう泣いていたことだけはとんと記憶している。
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