
吾輩は牛である。
人間どもは我々を「肉」として鑑賞し、あるいは咀嚼する対象としてしか見ないが、吾輩に言わせれば、思考を放棄して目の前の欲望に群がる彼らこそ、至高の家畜ではないか。
土曜日。シルバーウィーク初日。吾輩は土曜しか行けない奥渋にある魚料理が定評のある魚力に狙いを定めた。
なぜ土曜日なのか。それは平日の我々(あるいは吾輩を連れ回すこの愚かな飼い主)の過密なスケジュールと、日曜定休という店の冷徹な構造主義的排他性が交差する唯一の特異点だからである。
「ねえ、見て! 雨だけど祭りがあるらしくて、14:15がラストオーダーなんだって! 急がなきゃ!」

隣でご主人がSNSの画面を指差して叫ぶ。相変わらず騒々しい男だ。天候という抗えぬ自然の猛威に対し、14:15という人為的な時間の刻限。吾輩は雨の中急いだ。四足歩行の機動力を以てしても、この都市の舗装道路は些か滑りやすい。
千代田線代々木公園駅の少し斜めになっているコンコースの階段を上がると、目の前にはDOUTORがある。この地区はグルメの誘惑が多く、吾輩もかつては誘惑に上がらいきれず、何度かこの地区に足を運んだ。フグレンCoffee、スパイスポスト(現在は閉店)、吉野、それになつめまであるグルメストリートなのだ。資本主義の甘い蜜と、個性の皮をかぶった欲望の罠が立ち並ぶ街、奥渋。




我々は雨を突き抜け、ついに「魚力」の暖簾をくぐった。
店は1Fと2Fがあり、下はカウンターで、上はテーブル席になっている。上に通された。10番席だ。


店員からメニューの札を渡される。しかもここはクジの当たりシステムがあり、見事当たった吾輩は納豆を選んだ。本当はポテトサラダを頼みたかったのだが、生憎品切れ。明太子と随分迷ったが(そこ迷うなよ!と心の中で自らに突っ込む。我々思考する存在にとっても、発酵大豆と魚卵の選択はデカルト的懐疑を越える難問なのだ)。

ご主人は何やら隣で呑気にメニューを眺めながら「えーっと、カキフライも捨てがたいなあ〜」などと呟いている。愚か者め。下調べの足りぬ人間の典型だ。
吾輩はサバの味噌煮定食のかみを¥1700頼む。
かみとしもがあるようだが、下調べの結果かみに軍配がややあがるようであったのでそうした。魚類の解剖学において、頭部に近い「かみ」は脂乗りと肉厚さのイデア(理想形)を体現しているからだ。
「僕も同じのにするー!」とご主人。思考の放棄、同調圧力の極致である。
注文を終え、ご主人が「雨、やむかなあ」などと取るに足らない雑談を始めようとしたその時であった。
そしてすぐに着丼ドーンだ。サーブが異常に早い。牛丼屋かな?

客の空腹という実存的危機に対し、タイムラグを極限まで削ぎ落とすこの即応性。ファストフードの皮をかぶった伝統の暴力である。
ご飯大盛にしたが、ここはご飯とみそ汁はおかわり自由という太っ腹経営を貫いている。
目の前に鎮座した器を見つめる。

味噌のプールの中をゆったり泳ぐサバの切り身は、すこぶるぶ厚い。スープをすくって飲むと甘い。そして脳幹にズドンと来る甘美なるメロディが鳴り響く。そして鯖だ。この分厚い肉片ですでにビジュアルで降参だ。
モウモウ舌の上に載せた瞬間、どうだ。脳裏には一気に太平洋の荒波の網にかかる無数のいきのいいさばの姿に水しぶきを浴びせられる。13時間以上煮込まれたというその身は、細胞の分子結合を解かれたかのように解け、粘稠な味噌の小宇宙と一体化する。さらに小鉢のヒジキをつまむ。全てが海だ。更に蜆の味噌汁で追い打ちをかける。やはりさばだ。どうだこの骨まで食べれる柔らかさの極致は筆舌にあたいする。カルシウムの結晶体であったはずの骨が、口腔内で儚く崩れ去る奇跡。人間どもが「骨があるから嫌だ」などと抜かす言い訳を、この店は歴史と圧力鍋ならぬ無圧力の長時間調理という哲学で粉砕している。
「うわ〜! 骨まで柔らかいよ! 魔法みたい!」
ご主人が子供のように歓声を上げている。相変わらず語彙力が貧困な男だ。しかし、表現の粗雑さはともかく、言わんとすることは解る。これは調理ではなく、時間を触媒とした錬金術なのだ。
ここで、この過剰なまでの満足感を生み出す「魚力」という存在の、揺るぎない客観的現実(FACT)を整理しておこう。
【奥渋「魚力」の歴史と構造的FACT】
| 項目 | 史実・詳細 |
| 創業 | 明治38年(1905年)創業。初代・鈴木力蔵氏が大森海岸で鮮魚店を開業したのが起源。 |
| 移転の歴史 | 大森から青山へ移転後、戦時中の青山空襲により被災。昭和23年(1948年)頃に現在の渋谷・神山町(奥渋)へ移転。 |
| 食堂の開始 | 1985年、3代目の時代に鮮魚店の店内の一角(カウンター7席程度)で食堂営業を開始。1998年に2階席を増設。 |
| 看板メニューの秘密 | サバの味噌煮は煮込みに約13〜15時間を費やし、圧力鍋を使わずに骨まで可食な状態へ仕上げる。客の要望から「かみ(頭側)」と「しも(尾側)」の選択制を導入。 |
| 太っ腹なシステム | ご飯・しじみの味噌汁が全品おかわり自由(ただし米への感謝として残すと罰金500円ルールあり)。卓上のひじき煮も食べ放題。 |
| 遊び心のクジ | メニュー札の裏に印字された番号によるトッピング(納豆、明太子、ポテサラ等)の「当たり」システムが存在。 |
「ねえ、ひじきもご飯に乗っけちゃおうかな! 美味しいねえ」
ご主人は自身の胃袋の容量も考えず、茶碗にひじきを山盛りにしている。無邪気という言葉は、時として暴飲暴食の免罪符に使われる。
本当はご飯おかわりを目論んでいたが、とてもじゃないが、お腹がパンチクリンになり、おなかだけみると牛なのか、シシャモなのかが区別がつかない。
我々反芻動物の誇りである四つの胃袋をもってしても、この密度の高い米と魚の質量兵器の前には平伏するしかない。腹部が過剰に膨張し、脚部との対比において極めて不調和なシルエットを形成している。
「ふうーっ、食べた食べた! お腹いっぱい! 雨、まだ降ってるね」
ご主人は満足そうにお腹をさすりながら、会計を済ませた。
吾輩は店を出て雨の中代々木公園駅というグルメストリートを彷徨った。
濡れたアスファルトが、洗練された奥渋の街灯を鈍く反射している。胃袋の中に鎮座する濃密なサバと味噌の余韻が、冷たい雨の滴と奇妙なコントラストを描き出す。人間どもは「美味しいものを食べて幸せだ」などと単純な言語に還元するが、吾輩に言わせれば、これは命を食らい、自らの皮下脂肪へと変換する生存のための苛烈な儀式なのだ。
「次はあっちのカフェでコーヒーでも飲もうか?」
ご主人が呑気な声を上げながら傘を差しだす。
やれやれ。シシャモのような腹をした牛と、満腹感で思考が停止した人間。
我々は雨の奥渋で、あてもなく漂流を続けるのだ。
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