
吾輩は牛である。
人間という生き物は、記号の奴隷である。駅の出口をひとつ間違えるだけで、彼らの構築した「最短ルート」という名の脆弱な神話は容易に崩壊する。
その日は下北沢の南西口という、どこか新興住宅地めいた、あるいは未来の約束だけが先行したような小奇麗な改札から地上へ這い出た。それがすべての計算違いの始まりであった。目指す「オイシイカレー」へと続く道は、まるで迷宮のよう。額から汗を流す人間たちを尻目に、吾輩もまた自慢の4つの胃袋を鳴らしながら歩を進める。のちに知ることになるのだが、東口から出れば目と鼻の先、呼吸をする間もなく辿り着けたという。人間が作った地図とは、常に事後的な正当化に過ぎない。実はあまり下北にくることがないのだ

ようやく辿り着いたその場所で、吾輩は第二の記号の罠に嵌まることになる。
外見からでは、そこに至高のスパイスの桃源郷が存在することなど到底気づけない。ただの、そう、都市の背景に溶け込んだ無機質なオブジェクトのようだ。看板という名の自己主張をあえて放棄したその佇まいは、現代の過剰な承認欲求に対するアンチテーゼのようにも思える。

意を決して扉を開ける。
……。
吾輩は思わず自分の目を疑い、そして己の蹄(ひづめ)を確認した。カレーを求めて彷徨っていたはずの吾輩の前に広がっていたのは、どう見え隠れしても「完全にラーメン屋」の光景であった。

一文字に伸びるカウンター。スパイスの芳香ではなく、どこか出汁の気配を漂わせる空間。人間たちはこれを「ギャップ」と呼び、消費するのだろう。しかし吾輩にとっては、存在論的な揺らぎすら覚える空間のねじれであった。
ここで、この奇妙な空間の歩みを、事実(FACT)という名の冷徹なタイムラインで整理しておく必要があるだろう。
「オイシイカレー」の軌跡
| 年月 | 出来事(FACT) |
| 2017年1月 | 駒込にて「オイシイカレー」として創業(間借り営業からスタート) |
| 2018年4月 | 浅草橋(水曜日のカレー)へ移転 |
| 2021年4月 | 下北沢にて、現在の実店舗としてグランドオープン |
間借りという名の流浪の民を経て、ラーメン屋の居抜きという終の棲家(あるいは仮初めの姿)を手に入れたその歴史は、まさに現代スパイスカレーのサバイバル史そのものである。数あるカレー屋に足を運んだが、ラーメン屋のようなカレー屋は初めてだ。下記はお勧めのカレー屋達だ。よかったら見てみてほしい





店内には先客が2組。そのうちの1組は外国人であった。彼は満面の笑みを浮かべ、眼前の皿からカレーを平らげている。国境や言語、そして牛と人間という種の壁をも越えて、スパイスという名の共通言語が彼を狂喜させているのだ。彼が会計を済ませ、満足げな笑顔で店を去っていく姿を見て、吾輩は「幸福の定義」について哲学せざるを得なかった。
さあ、吾輩の番だ。

注文したのは「3種盛りのカレー(1750円)」。
さらに、3種のうちの1つである「たっぷりタラコカレー」には、彼がぷらすオプションとして提示した「+100円」の課金システムを適応した。資本主義へのささやかな魂の切り売りである。
カウンターの向こうの静寂が破られる。

『着丼ドーンだ!!』

丼ではない。しかし、その刹那、吾輩の脳内には確かにその轟音が響き渡った。運ばれてきたのは、3つの宇宙がワンプレートに同居する、美しくも混沌とした小宇宙(コスモ)であった。
特筆すべきは、この店の一風変わったシステムである。サーブもお会計も、すべてカウンター越しの小さな「扉」から行われるのだ。それはまるで、禁忌の取引を行う秘密結社のようであり、あるいは面会室のようでもある。店員と客という非対称な関係性を、その小さな四角い穴がよりミステリアスに演出している。
さて、個々の宇宙を解剖していこう。
まずは「とんこつポークカレー」

スプーンを差し入れると、そこにはバルキー(圧倒的質量)な肉の塊が鎮座していた。口に運ぶ。……美味い。とんこつという、ラーメン屋のDNAを色濃く残したベースが、ポークの旨味を限界突破させている。それはかつて草原を駆けた同胞(豚)への、最大級の賛辞のようでもあった。肉体が肉体を喰らうという野蛮な行為が、スパイスによって高尚な芸術へと昇華されている。
次に、本日の真打とも言える「スモーキーアーンドラチキン」

一口食べた瞬間、吾輩の脳内で警報が鳴り響いた。辛い。かなり辛い。しかし、その刺激の奥から立ち上るスモーキーな燻製の香りと、凝縮されたチキンの旨味が、味覚のニューロンを狂わせる。皮肉なことに、この痛覚に近い辛さこそが、3種の中で最も「美味い」と脳に錯覚(いや、確信)させるのだ。苦痛と快楽は表裏一体であるという、サディスティックな真理を突いてくる。
最後に、オプションの100円を支払って顕現させた「たっぷりタラコカレー」

これはもう、口に入れた瞬間に「ザ・和テイスト」の大波が押し寄せてくる。プチプチとしたタラコの食感がこれでもかと主張し、カレーというインドを発祥とする概念を、強引に日本の長屋へと連れ込むような感覚だ。スパイスの海を泳ぐタラコたち。100円という等価交換によって得られたのは、確かな贅沢と、味覚の鎖国緩和であった。
3つの胃袋(1つは未だ哲学のために残してある)を満たし、吾輩は確信した。ここはカレー屋の皮を被ったラーメン屋であり、同時に、ラーメン屋の皮を被った至高のスパイス神殿なのだと。
小さな扉から会計を済ませる。そこにはもう、最初に感じた違和感はない。ただ、美味なる混沌を受け入れた充足感だけがある。
そして吾輩もラーメン屋、いや、オイシイカレー屋をあとにしたのだった。下北沢の風は、少しだけスパイスの香りがした。
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